薬丸湖雲の墓がある神社。
八幡神社の特徴
薬丸狐雲(兼将)の墓がある神社です。
スマホのナビが頼りにならない場所にあります。
日南市南郷町脇本に位置しています。
スマホのナビはあてになりません。西の山の中に連れて行かれたら大変です。東側の道路の要所要所に案内板があるのでそちらから行きましょう。
薬丸狐雲(兼将)の墓があり神社として祀ってます。南郷Aコープの前を通り脇本橋を渡ってすぐに右、そのまま直線。橋の所と直線道を行くと手作りの看板が立っている。ナビで山に上がるようにでるが、山には上がらず溜め池に沿って山の中に入るとある。「県史蹟調査第六輯」によると、岡の城墟のくだりに、谷之口と脇本との界の山嶺にあり、湖雲が城ともいうとし、櫛間城主だった肝付省釣が、一時島津氏に降ったが、なおも飫肥藩との仲を疑われていたので、飫肥に在城していた伊東祐兵、佐土原にいた義祐に、偽りの戦いを持ちかけた。伊東側の承諾を得て、天正四年(1576)六月岡の城から大将薬丸以下肝付付兵が津屋野に出動した。肝付側は、無鏃矢、空砲で撃ちかけたが、飫肥側は、急だった為に命令がまだ伝わっておらず、真の矢銃で戦ったため、肝付側は大将以下、三百余人が戦死した。その後、薬丸孤雲(島津国史によると孤)の遺体は、城の真下の金連寺に葬った。その金連寺跡に墓が残っており、寺跡に薬丸以下の戦死をあわれみ、神社を造営、祭り始めたものという。副将だった十九歳の若武者安楽下総介の墓は同町津屋野の久保田にあり、「安楽さま」と呼び土地の人が慰霊のために建てたという。薬丸ほか三百余人が戦死したのは、六月十五日(島津氏の記録によると冬十月)で、例祭はその翌日で、偽戦の姿をあらわす臼太鼓踊りが、慰霊のため奉納される。太鼓を前にかかえ、背に旗指物を負う伝統の踊りが長い間受け継がれている。
| 名前 |
八幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0987-64-1989 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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八幡神社は、明治四年廃寺となった金蓮寺の旧跡に、ある神社 薬丸湖雲の墓がある。【大隅の肝付三省の父省釣の部将】天正四年の津屋野合戦で、戦死した。その後 湖雲の祟りが、続いたので、金蓮寺住職祖元坊が、元禄年間 墓を、建立した又境内に、若宮八幡を勧請し湖雲らの命日に、あたる六月十六日を、祭礼とした。祭礼の前には、脇本三班の人々により草払い 掃除が行われ 宮崎に、おられる 子孫の方も参加されて、宮司による祭礼のあと直会が、行われている。又湖雲の墓は、元々寺の下の段にあり 近くには、たくさんの墓が、あるという神社入口に、八幡神社の碑その上に、このあたりの山や土地の ほとんどを、所有されていた分限者の家系の お墓が、ある 目印に、なります。