万願寺口からの絶景、伊東四十八城。
宮崎城跡の特徴
万願寺口からのアクセスが特に良く、登山が楽しめます。
伊東四十八城の一つとして歴史を感じる遺構が魅力的です。
整備が待たれる広い空地が、本丸後に広がっています。
宮崎城跡日向伊東氏の伊東四十八城の一つで、島津氏によって伊東氏が衰退した後は島津氏が入城しました。城は自然の地形を有効に利用し、本丸・野首城・服部城・彦右衛門城・百貫城などの独立した曲輪からなり、船ヶ崎・万願寺・目引・野首の4つの登城口がある。同じような築城法をとった城として伊東氏の都於郡城がある。#お城 #城跡 #城 #宮崎県 #宮崎城。
本丸後は草刈りされて広い空地。
2021年11月、「現代語訳上井覚兼日記」を読んでからの訪問。歩きやすかったです。
伊東48城の1つで、建武2年(1335年)又は延元元年(1336年)、図師六郎入道隋円·慈円父子によって築城されたと伝わっています。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃には結果的に東軍対東軍の同士討ちになる宮崎城の戦いが起こっています。飫肥の伊東祐兵は大阪で病に伏していたものの黒田如水を通じて東軍に味方する事にし、嫡男 祐慶を飫肥に返します。祐慶の意を受けた伊東家重臣 稲津掃部助重政は西軍とおぼしき高橋領の宮崎城を攻め落としますが、この時点で高橋元種は東軍に寝返っており同士討ちになってしまいました。その後 重政もその責任を取らされる形で討たれています。城跡の方は多数の曲輪や登城口があって、登る時はほぼ一緒の道ですが、下りる時は色々な道を通って下りています。
城跡までの道が少し荒れてたけど、上まで上がれる。城跡を巡るコース図があると助かる。途中の表示はあったが、城跡の標示は朽ちてしまってた。
台風後でまだ崩落した箇所がある。石碑がある以外は施設はない。案内板があるので入り口は分かりやすい。
山深いが遺構あるし、整備してほしいなぁ。
名前 |
宮崎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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万願寺口から登るのが一番良いかなと思います(一応駐車場らしき広場もあるので)。地元の方が整備しているのか、本丸(ポイントの場所)までは案内看板頼りで行く事ができます。ただ、本丸から南側は、万願寺口にあった看板と現地形がどう対応しているのかがいまいちわかりませんでした。縄張り図は持って行った方がいいかもしれません。北側は目曳・服部城跡(宮崎城跡の記念碑等がある地点)までは行く事はできますが、それより北はかなり大きめの堀切があるため行く事ができません。いつか城跡全体を廻れるようになれば良いですね。