女夫木の大杉、安徳天皇の碑へ。
安徳天の石碑の特徴
安徳天の石碑は、女夫木の大杉から訪れることができます。
山道を登る途中、二位尼碑も楽しめるルートです。
交差点からのアクセスが分かりにくいですが、その価値は十分にあります。
諫早市丸源ラーメンの交差点を右折、夫婦杉交差点左折、阿弥陀神社突当り畑沿いに細道広い場所に車停め杉並木の山道登り山頂に碑のコースは分かり難いので二位ノ尼碑にセットして夫婦杉交差点手前左折山道旧島原街道を登り、二位尼碑を過ぎ少し行くと右側に案内杭と階段があります。検索すると安徳天皇本人かその身代わりがこの地で源氏の追手に討たれたという伝承があり、明治になって阿弥陀神社の鳥居崩壊の際に石碑を建て咎めを恐れ安徳天として皇の字は削ったとか最初のコースで登った山は石がゴロゴロしていて何らかの城か砦が有ったと思われますが夫婦杉が5~600年、墓石等も鎌倉時代ほど古くない?ただ伝承があり、対馬は遠い事を考えると長崎県の伝説の一つとして思う所が有りました。
| 名前 |
安徳天の石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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女夫木の大杉を訪れた際に、安徳天皇と二位尼の碑まで足を伸ばしました。登山口が少し分かりづらいのですが、女夫木入口のバス停を目印に、少し集落の方に下ると左手に山に入る道があります。そこからはコンクリートで舗装された一本道なので迷うことは無いはずです。安徳天皇は平清盛の孫で、もっとも若くして亡くなられた天皇。史実では壇ノ浦で亡くなられたとありますが、四国や九州各地に落ち延びられたという伝説があり、こちらもその一つの場所。影武者説などが有力ですが、しかし歴史の一部がこの諫早の地にあると感じられるだけでも感動します。安徳天の碑と二位尼(平清盛の妻であり安徳天皇の祖母)の碑は同じ道沿いの離れた場所にあるので見逃さないようにされてください。碑の周辺は地元の方が手入れされ、大切にお守りされていますので、訪問される際はお気遣いよろしくお願いします。(追記、春から秋にかけては蠅や虫が多くなるのでモスキートネットなどをされて行くと良いかもしれません)