祇園橋で歴史を感じる旅。
祇園橋の特徴
近くに無料の駐車場があり、訪れるのに便利です。
1832年に架けられた国指定重要文化財の石造桁橋です。
昔の人の技術を感じられる貴重な歴史的構造物です。
国の重要文化財に指定されている国内最大級の石造桁橋。全国的にもまれな多脚式で、天草地区の良質な石素材を使用された石橋です。祇園橋自体は江戸時代後期に架けられたものですが、石橋の下の架台の石は、島原・天草の乱当時と変わらないと言われているそうです。寛永14年に、この近隣でキリシタン軍と唐津藩の軍勢との死闘が繰り広げられ、哀しい内戦の歴史が刻み込まれた祇園橋…多くの事を考えさせられる祇園橋は、現代も尚、その姿を見る事ができる貴重な重要文化財です。
祇園橋は、国指定重要文化財です。祇園橋の名前の由来は、衹園神社の前にあることからのようです。この橋は、多脚式アーチ型石橋(桁梁円弧型多脚柱付大石橋)で、立派さの中に上品さを兼ね備えています。長さは28.6m、幅が3.3m近くもある橋間に、がっちりとした5列9行の角柱45脚で支え、その姿は優美で力強いです。全国的に見ても最大の石橋となり、中国や韓国を含めてみても大きな存在感を示す見事な石橋です。建造年代は天保3(1832)年で、時の庄屋大谷健之助が発起して、地元銀主を始め、庶民の協力しあい、完成させました。石材は下浦産で石工も同じく下浦の石屋辰右衛門です。しげしげと橋を見ていると200年近くも橋が存在できる石工技術の高さに惚れ込んでしまいます。なお大人の事情により、今では橋への立ち入りが禁止されています。さらにこの橋のある付近は、寛永14年(1637年)11月、天草の乱で天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。
いつも行こう行こうと思いながら来ることがなかった。島原の一揆ではこの橋で一揆と富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍が激突した古戦場である。実際に目にすると、意外に小さな橋に思えた。今は橋自体が強度不足で実際に橋を渡ることはできないが、天草四郎を訪ねる旅もようやくここまで来たかの感はある。四郎らが闘った相手は明智光秀の血をひく三宅藤兵衛であった。町山口川は両軍の死者の血で赤く染まったという。複雑な思いがいつまでも心の中に残り続けていた。
ココがかの有名な祇園橋か!と感じることのできる場所でした今は老朽化で橋を渡ることはできませんでしたが天草の歴史を感じれる場所でした。
立ち入り禁止の表示 河川に下りたくも禁止何とか保存して欲しいです🎵
偶然通りかかったのだが、とてつもなく狭い道!googleマップ先生が案内するので進んでいったら遭遇しました。これ、行けるんかーぃって感じでしたが、進みました。大きい車はアウトです。1台ギリギリなので、徒歩で来ましょうw古い眼鏡橋でした。歴史を感じます偶然2回目なんですが、川には大体カモたちが休んでます。癒やしのスポット。
天草市内の町山口川に掛かる石橋、約200年前に造られた国の重要文化財。傍に、無料の駐車場が有るので車だとアクセスは容易です。傍には公園も有るので、一息入れるのに最適です。老朽化が進んでおり、渡ることは出来ません。
たまたま散歩で通ったのですが…特に橋についての説明がなくいつ作られたのかとか歴史に関しても何もなく近くにあった神社?のご神木についてしか表記が無かったので???でしたね(祇園橋公園のほうに説明があったようです)。橋は脆く崩れかかっていたので通行禁止になっていました。
神社も境内もすごく良く手入れがされていて、綺麗です。
名前 |
祇園橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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近くに無料の駐車場があります橋は本当に崩れそうで、趣がありました。付近を散策してみましたが、人が少なくお店も開いていませんでした.夜になるとあくのかな。