繁華街の中の稲荷神社。
船橋本町稲荷神社の特徴
船橋の狸小路に位置する、歴史ある稲荷神社です。
昭和を感じさせる地域密着型の神社として人気です。
繁華街の中央に、立派に鎮座する神社があります。
稲荷神社様 (船橋本町)御祭神∶宇賀魂神・稚産霊神・大己貴神千葉県船橋市本町1ー12ー18寛政・享和(1789〜1803)の頃、森田屋善兵衛が京都の伏見稲荷神社の分霊を迎え、所有地に祀ったと云われているそうです。神職の方は常駐しておりません。船橋大神宮(正式な名称∶意富比神社)の飛地境内社(とびちけいだいしゃ)になっています。飛地境内社∶地理的に境内外ですが、境内社として管理されています。境内に八坂神社様の祭礼寄付御芳名の名前が掲げられていますが、こちらの稲荷神社様に八坂神社様は祀られていません。こちらの地区の氏子さんは船橋大神宮様のメインの氏子さんになっています。船橋大神宮様の摂社、八坂神社様(大神輿に祀られています)の例祭日、七月の金曜日には、ご神輿の出御、渡御がおこなわれます。この例祭日の当番は、各地区の氏子さんが順番で担当しているそうです。道路沿いに各神社の案内(石板)が設置してありますので記載させて頂きます。「お稲荷さんは、農民には、豊作を祈る神、漁師には、大漁を祈る神、商人には、商売繁盛を祈る神であり、非常に守備範囲の広い神様です。江戸時代になると、家々の屋敷神として爆発的に広まり、本社の伏見稲荷から分けて祭られました。このお稲荷さんも、元は地元のある家が伏見から分けてもらったものと伝わりますが、効験あらたかなので、地区の守り神として信仰されるようになりました。そのため、この神社の脇の道は稲荷横丁と呼ばれるようになりました。多くの神様は、現世のご利益を祈ってお参りされますが、特にお稲荷さんは幸福をもたらす神の代表的存在です。」神道での唱えことば神拝詞(となえことば)祓え給い (はらえたまい)清め給え (きよめたまえ)神ながら (かむながら)守り給い (まもりたまい)幸え給え (さきわえたまえ)神拝詞三唱 二拝 二拍手 一拝(写真は王子稲荷神社様の拝殿にて撮影したものです)純粋な信仰心に対して神様、仏様の心が動きます。皆様に良き霊験がありますように。神仏の光と龍神様の写真を選んで投稿させて頂きます。皆様に神仏の光が届きますように。2023年12月18日。
繁華街の中の神社っていいね。
繁華街の中にある立派な神社です。
かなり渋めの居酒屋エリアの中央に鎮座。かなり古い庚申塚もあり(年代読み取れず)規模の割にかなり大事にされているようで、それなりの歴史を感じます。今の社は大正時代に新築されたもののようです。鳥居の前には折れた石塔の上半分が埋まっています。下半分は見つからずそれが建っていたと思われる台座的なものもないですが、残っている部分だけを見ると表「國威富」→国威とそれに続く富から始まる言葉裏「紀元二千六百年紀年 寄贈 齋」までが読み取れます。※1940年がその年にあたり当時は富国強兵を推し進める日本において神事をより強めていく為に、国威と富国強兵を願って齋藤某が寄贈した石碑だと思われます。終戦後に破壊されて転がっていたのを誰かが建てたのでしょう。本町通り沿いには老舗料亭「稲荷屋」がありますし、私の訪問時には80-90歳くらいの古老や、これからビジネスに向かうサラリーマンが立ち寄っていたのでそれなりに地域からは慕われている神様なのでしょう。実際にいつ頃出来た神社なのか、までは分かりませんが、この辺りが栄え出した年代と照らし合わせると江戸時代の街道整備以降でしょうか。色々調査したくなる神社です。
すごいところに神社があった。裏にも建屋(神社?)があり面白い構造になっている。
あせる王様船橋店に買いに行った時に立ち寄らせて頂いた昭和を感じる事のできる地域密着型の稲荷神社です。ちょっとした小さな集会場所にもなっている感じです。神社裏側に小さな社があります。参拝できて良かったです。
区画整理と開発が進む船橋駅周辺で、整理されない古いお店が集まる一角に、そっと佇む、地元の信仰を集めている(のではないか、という)神社。いちおう、お稲荷さんだと思うが(狛犬ではなく、お狐さまが番をしているし)、境内に「八坂神社」と書いてあったりして、どちらなのだかよくわからない。単なる祠ではなく、ちゃんとした拝殿と本殿を具えた構造であり、いずれも小ぶりだがしっかりした建築なので、たとえ歴史は古くなくとも、船橋本町一帯の、近世町民たちの豊かさを語る神社であると思われる。
| 名前 |
船橋本町稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
狸小路、稲荷横丁の飲屋街。稲荷神社周辺の呑み屋が昔のまんまあったのは嬉しいね~!稲荷神社はそれなりに管理されていた。