鐘塚稲荷神社、静かな路地裏の魅力。
鐘塚稲荷神社の特徴
大宮駅から近く、鐘塚稲荷神社の立地は魅力的です。
小さな広場があり、こまめに掃除が行き届いています。
路地裏にひっそりと佇む神社で、静かなひと時を楽しめます。
鐘塚稲荷神社は、 さいたま市大宮区桜木町にある神社です。鐘塚稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、当地周辺に家が多く建つようになったのが明治時代以降なので、明治期の創建ではないかとも、また文化3年(1806)の『中山道分間延絵図』に当社と思われる稲荷が描かれていることから、江戸時代末期には祀られてきたのではないかとも考えられ、箭弓稲荷神社の勧請とされています。当地「字 鐘塚」は、戦国時代に「旭坊」の鐘供出を命じられた僧侶がこれを拒み、鐘を埋めてしまったことから字名となったと伝えられています。JR大宮駅西口に隣接する当地は、かつての大宮宿七組の一つ甚之丞新田の内、字 鐘塚と呼ばれた地域である。鐘塚の地名の由来は、当地の北側で、現在旭町と呼ばれる辺りにあったとされる旭坊という坊舎の鐘が、戦国時代に供出を命じられた。しかし、旭坊ではこれを拒んで、鐘に穴をあけて埋めてしまった。その場所が 鐘塚と呼ばれたという。今はソニックシティ前の 鐘塚公園に唯一その名を留める。当社の創建についての資料はないが、氏子の中では、東松山市の箭弓稲荷神社の講(大宮講)が古くから続いているので、同社から分祀したのではないかといわれている。よって、創建についても、この辺りに家が多く建つようになった明治以降ではないかといわれている。 しかし、文化三年(一八〇六)の『中山道分間延絵図』には、大宮宿の西側で、川越道(現大宮岩槻線)の南側の林の中に、「稲荷」の文字と鳥居が描かれており、位置関係から見ても、これが往時の当社の姿と思われる。ただし、甚之丞新田が開発されるのが寛永五年(一六二八)であるが、 鐘塚の伝説などを勘案すると、当社が伝説の 鐘塚の跡に建てられた可能性もあり、開発よりも古い創建とも考えられる。(「埼玉の神社」より)
小学校2年まで桜木町で過ごした。もう60歳になるけど、懐かしくてたまに訪ねてもここは変わらないよ。自宅はすぐ前のマンションになっちまうみたいだけど「おいなりさん」はこのままでいてほしいね。
大宮駅近くの鐘塚稲荷神社は創建年代等は不詳となっています。「埼玉の神社」によると鐘塚の由来は旭坊という坊舎の鐘が、戦国時代に供出を命じられたが、旭坊ではこれを拒んで、鐘に穴をあけて埋めてしまったことから鐘塚と呼ばれるようになったといわれています。
綺麗だけど特に何もなし()
綺麗だけど特に何もなし()
漫々亭のスタミナを食べようと来た時、偶然発見しました。本日で3回目のお参りです。箭弓神社(東松山)からの勧請なので幟があるとのことです。この辺りが鐘塚という事も勉強になりました。再開発でビルが乱立していますがこういう町並みがほっとします。追記 漫々亭も11月で閉店、行っとけば良かったと悔やんでおります。
小さい神社ですが、小さな広場もあり、掃除もされておりました。
駅に近い目立たない神社です。
路地裏にある神社。箭弓稲荷神社云々と書かれたのぼり旗があった。
| 名前 |
鐘塚稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒330-0854 埼玉県さいたま市大宮区桜木町2丁目181 |
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神社の詳細は不明、稲荷神社に立ち寄りたい方はぜひ。