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名前 |
瑞泉院跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
瑞泉院を開基した金子十郎家忠は、保元の乱(1156)より源平合戦(1185)に至る数々の戦いに武功をたてた阪東武士である。家忠の正室は、秩父庄司・畠山重忠の姉「重子」で、建仁元年(1201)3月23日死去。それで妻のために寺院を建立。「木蓮院殿標室榜大姉」の院号により、開基当初は「木蓮寺」と称していたが、建保4年(1216)2月17日家忠死去。「瑞泉院殿翁道英大居士」の院号により、寺の名を「瑞泉院」と改めた。また、木蓮寺は地名として残っている。瑞泉院は天明(1781~1789)と元治(1864~1865)の2回にわたり大火に見舞われ、七堂伽藍がことごとく焼失しており、現在は寺院の建物はなく、広々とした境内には無数の墓石があるのみである。