大正十年の歴史、赤土露出部の魅力。
銅鐸出土地碑の特徴
大正十年に発見された流水紋銅鐸の貴重な史跡です。
恩智字向谷の歴史を感じられる特別な場所です。
通稱垣内山の裏手に位置し、自然の中にあります。
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名前 |
銅鐸出土地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(一九二一)風雨のため山崩れが生じその赤土露出部より流水紋銅鐸が発見された。 流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作られたものであろう。 銅鐸は現在東京博物館にありその拓本が当寺にある。安養寺は浄土宗で本尊は阿弥陀如来である。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】