茨城の装飾古墳、歴史が息づく。
太子古墳の特徴
明治23年に発見された歴史深い史跡です。
大正年間に装飾古墳として発表された貴重な場所です。
茨城県南部で稀な装飾古墳をぜひ見学してください。
小さな穴があるだけです。わざわざ観に来るほどでは無いと思いました。
明治23年に開墾の際に発見され、大正年間に大野延太郎(雲外)氏によって、茨城県南部では稀なる装飾古墳として発表された。発見当時は、壁面に多数の朱の丸紋が鮮やかに描かれていた「奥壁ハ全面朱塗リニシテ左右両側壁ニハ朱ノ丸数個画キアルヲ認メタリ」そうですが、外気に触れるうちに退色してしまい、今はぼんやりと朱色がところどころに見えるだけです。古墳時代後期、7世紀前半の築造で、全長60メートルの前方後円墳だったそうですが、現在は後円部の横穴式石室が開口している部分が残るばかりで、土地の人々は「太子のカロウド」と呼ぶそうです。「カロウド」とは唐櫃のこと。石室の形からそう呼ばれたのでしょう。石室からは、2遺体分の人骨と銀環、直刀、刀子、須恵器が出土したそうですが、古墳時代には大変な貴人だったのでしょう。今は、県道からの小径にひっそりと、しかし、丁寧に剪定された生け垣に囲まれているのが、せめてものことでしょうか。
名前 |
太子古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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駐車場はありません路駐になるのでささっと見学して立ち去った方が良いかと実際見ても大した事ありません。