静寂感あふれる六殿大明神。
田底六殿神社の特徴
住宅街の真横に位置する静寂感のある神社です。
大きな灯籠が印象的で、お参りが訪れる人を迎えます。
御祭神は多彩で、六殿大明神として親しまれています。
住宅街の真横にあります。(道幅狭め、離合不可)鳥居横に駐車場あり。階段は幅狭め、若干高さもありました。梅雨時期で竹(のこ?)も石段に倒れていました。賽銭箱まで少し距離がありましたが、しっかりお賽銭を納め、お参りさせていただきました。
御祭神:阿蘇大明神あそだいみょうじん天照皇大神あまてらすすめおおかみ埴安姫神はにやすひめのかみ諏訪大明神すわだいみょうじん氷川大明神ひかわだいみょうじん稲荷大明神いなりだいみょうじん総称して六殿大明神ろくでんだいみょうじんと号す。由緒:元々、木原山と称されていた雁回山の本宮は、後白河天皇の御代(1155-1158)、保元の乱での強弓で名高い平安時代末期の武将・鎮西八郎為朝(源為朝)が木原城に居城の折、阿蘇宮を崇敬し、西国安鎮祈願の遙拝殿を立てたのが始まりと伝えられている。その後、治承2年(1178)高倉天皇の勅願にて鎮西地方の鎮護の宮として本宮創建の御綸旨を賜り、時の内大臣の平重盛が、緑川沿いの菰江の地に着船。御祭神を六殿大明神と号し、木原明熊に仮宮を建てたのが六殿神社の創建。天正16年(1589)には、キリシタン大名の小西行長が宇土城城主となり、領内の社寺を焼討。本宮は、勅願社の故を以ってその神域を懼れ火難はまぬかれたものの、神領や宝物は掠奪され、社内は乱妨狼藉を極め、本地堂等を焼失し、円福寺本尊は山中に隠され、木原不動奥の院として奉安される。慶長5年(1600)加藤清正は、本宮に於て宇土城攻略の戦捷祈願をなし、その制札を立て、乱妨を禁じ、神領を寄進し社殿を改修した。細川歴代藩主の尊崇も厚く、今も尚、奉納の絵馬や安泰祈願大灯籠が現存し、一般庶民の信仰は肥後国内はもとより、鎭西(九州)一円に亘り、除災招福、心願成就を祈念する人々の、心のよりどころとして、神威益々広大に崇敬を集め今日に至る。境内の様子動画→https://youtu.be/m7tIWc8hvFw
ゴイゴイスー。
まず入口の灯籠がドンとでかい。鳥居も石造りで大きく重量感があります。境内も広く、周囲もきれいに手入れて掃き清められてました。
急な階段を登ったら神社が現れます。古い神社で懐かしさを感じます。
静寂感のある神社です⛩
国道3号から一つ入った住宅地に面した南側斜面にある静かな社。
名前 |
田底六殿神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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とても素晴らしい神社でした。