江戸時代の流行、御当地八景を体感!
新河岸の渡し舟の特徴
江戸時代中頃の歴史を感じられるスポットです。
小川八景の一部としての存在感が際立っています。
300年前の風情を味わえる貴重な場所です。
【小川八景 その八】今から300年くらい前、江戸時代の中頃に御当地八景が流行ったことがありました。各地の風雅人が在所の、これはと見定めた風流・風情のある場所に地名をとって“○○八景”と名付け、和歌や俳句、漢詩にそれを詠んだのです。この場所もそういった御当地八景のひとつです。江戸時代には小川町には水戸藩の御用河岸があり、人や荷の往き来があって賑やかな町だったようです。そんな町の端の方、下馬場と川向こうの川中子の地区の人びとが利用していた渡し舟の船着き場がこの辺りにありました。この史跡柱はそれを偲んで建てられています。
名前 |
新河岸の渡し舟 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
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小川八景 その八「新河岸の渡し」新河岸結軽渡舟(新河岸を結ぶ軽渡舟)この碑からは,のどかに流れる園部川の対岸に,天満宮の鳥居が見えました。それにしても,小川一景から七景はどこにあるのでしょうか。こちら,小美玉市に合併する前の小川町時代に設置された金属製の碑だと思うのですが,残りの七景については,ネットで探してもまったくヒットしませんでした。いつの日か探しに再訪したいと思います。(2020.5記)追記:小川町が小美玉市となって消滅する6年前の平成12年、小川町教育委員会が建てた小川八景の碑(八景の制定は江戸時代)は、次のとおりです。城趾の晴嵐、鉄辟の晩鐘、赤身の暮雪、赤身の暮雪、雫橋の夕照、二本松の夜雨、霞江庵の秋月、新河岸の渡し舟。