三方ヶ原の戦い、精鎮塚へ。
精鎮塚跡の特徴
精鎮塚跡は三方ヶ原の戦いの歴史的な場所です。
武田軍と徳川軍の本陣が設置されていた印象的な史跡です。
慰霊碑が築かれた経緯がある、深い歴史を感じるスポットです。
かつて三方ヶ原の合戦で亡くなった人たちの為にこの地に精鎮塚と言う慰霊碑が築かれたそうです。現在はここより1km弱程東南東の大乗寺に移設されましたので、当地には何も残されてはいません。三方ヶ原の合戦にまつわる慰霊碑や仏像などは浜松市内のあちらこちらに見られますが、ここに建立された慰霊碑もその内の一つです。三方ヶ原の合戦に於ける主戦場は旧金指街道(鳳来寺道)の祝田の旧坂のほうですが、本坂通り(姫街道)に程近いこの地に建立されたのは何故なんでしょうか。
元亀三年(1572年)の三方原合戦における、徳川・武田両軍の戦没者の霊を慰めるため、この場所に精鎮塚という慰霊碑が建立された。しかし、三方原合戦で戦死した先祖の霊を供養したいという、三方原町本乗寺(三方原小学校西側)第六代住職青島淳雄師の願いにより、大正末期、同寺に移された。本乗寺では、毎年、盆の供養とそば供養の行事が行われている。
名前 |
精鎮塚跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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精鎮塚(しょうちんづか)は、武田軍と徳川軍との三方ヶ原の戦いの時、徳川軍の本陣があった場所と言われており、徳川軍の長谷川紀伊守正長と弟の長谷川藤九郎英一が亡くなった場所とも言われています。現在は、立て看板だけで石碑は、浜松市中央区三方原にある本乗寺に祀られています。