平山温泉への道中、朱雀天皇の御神域。
石藤崎八幡宮の特徴
承平5年に創建された歴史深い神社です。
朱雀天皇による別宮の勧請で訪れる価値があります。
県道沿いと広場にある二ヶ所の鳥居が印象的です。
フジの花満開奇麗コロナ収まってるのに飲食伴う飲食禁止だって。
創建は承平5(935)年、朱雀天皇が平将門の乱を鎮めるために京都の石清水八幡宮の橘能貞に命じて別宮を勧請との事。恐ろしく長い歴史を持つ神社。正面の鳥居は倒壊していたので、県道195号線沿いの鳥居が神社の裏側になるが一の鳥居になるのかな。鳥居の貫に八幡宮の藤の紋があり珍しい。立派な楼門を抜けると鳩を頂く石燈籠があるが、鳩は拝殿に向かって『八』の字に止まっている。佐賀県玄海町の値賀神社に何かの鳥が付いた石燈籠は見た事があったが、鳩は初めて。鳩は「八幡様のお使い」ともいわれているそうな。参拝の目的は、倒壊した鳥居の前に架かる神橋で、架橋は明治初期。何かの記念碑の台座の石積みも大変変わっていて、何という積み方かを調べるが分からない。隅の部分から『算木積み』でいいのかしら?
平山温泉へ行く道中、車を走らせていた時に目に留まり立ち寄りました。立派な社殿に楼門もあり、何処と無く阿蘇神社に似た雰囲気を感じました。地元の神社としては規模が大きく、綺麗に管理されている事からも、地元の方に大切にされているのがわかりました。気持ちよく参拝でき、清々し気持ちにさせて頂きました。
静かな神社です。藤の木があるので花の咲く季節にもう一度来てみたいです。
県道沿いと、広場からの二ヶ所に鳥居があります。社殿も立派で、社殿裏には、五基の猿田彦大神も祀られ、また、社殿左奥には、三箇所の何かが祀られています。藤棚もあり、四月頃には綺麗でしょうね。また、9月にはお祭りもあり子ども相撲などもあるみたいです。広場からの正面の鳥居の手前には小さな石橋もあり、実に可愛いです。≪ 由 緒 ・ 由 来 ≫当八幡宮は、承平五年、六十一代朱雀天皇の時、平 将門 逆心に就き、朝廷より追討を勅願、山城の国男山 石清水八幡宮より、橘 能貞(山城家の祖先)が別宮に勧請。此の時、男山の藤を切り、神馬の鞭を作り神輿を守護し奉り、承平五年十月十五日当地に御下着され、馬の鞭に使っていた藤の枝をこの地に指し神殿を造り始める。その藤の枝は、神殿が出来上がる前に芽を吹いた故、藤が先として藤崎八幡宮と称し(俗説)、その藤を御神木とした。ちなみに、石清水八幡宮は皇室との繋がりも深く、例大祭には、天皇陛下もご参拝なされ、戦国時代 源 頼朝 は出陣の際には、必勝の祈願を欠かさなかったと言い伝えられる由来に基づき、当八幡宮も今では、スポーツ大会などの必勝祈願の参拝があり、戦の神様・勝負の神様として崇敬されています。由緒ある八幡宮であり、氏神様でもあります。◎ 御祭神 – 応神天皇(譽田天皇) 神功皇后– 境内神社 –◎ 菅原神社(菅原道真公・学問の神様)◎ 若宮神社(仁徳天皇・家畜の神様)
立派な八幡様です✨
名前 |
石藤崎八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.4 |
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楼門も立派です。背の高い木々や、藤棚も凄く良い感じでした。以下引用させて頂きました。石藤崎八幡宮(山鹿市石)石藤崎八幡宮藤崎八旛宮 といえば、例大祭で有名な熊本市の神社ですが、山鹿市には石に、藤崎八幡宮 があります。その違いは「幡」と「旛」。どちらも立派な神社です。こちらは、藤崎八幡宮 と一般的な幡を用います。今では石藤崎八幡宮と呼ばれているようですが、ここが、熊本市の藤崎八旛宮との関係性が非常に深いような気がするのですが、実際はどうなんでしょうね。石藤崎八旛宮の楽しみ方1000年を超える歴史と謎のある神社風格のある随神門や能楽殿美しい藤棚石藤崎八幡宮 の 御由緒創建は承平5年(935)朱雀天皇が平将門の乱を鎮めるために京都の石清水八幡宮の橘能貞に命じて別宮を勧請することになった。橘能貞は石清水八幡宮の藤の枝を神馬の鞭として、神輿をしっかり守りながらここに到着。承平5年10月15日。藤の枝をその辺りにさして神殿を造り始めるが完成より先に藤の花がさき始めたので、ふじがさき、藤崎八幡宮と呼ばれるようになったそうです。実際に境内には藤棚がありました。季節を選んで参拝すれば見事な藤の花を楽しむことができることでしょう。しかしこうなると熊本市の藤崎八旛宮とのつながりがよくわからないですね。気になるけど知ってる方いますか?石藤崎八幡宮 の 御祭神應神天皇(誉田別命)・神功皇后境内社の菅原道真・仁徳天皇石藤崎八幡宮 のアクセス〒861-0553 熊本県山鹿市石駐車場:あり。