大牟田・菅原道真公の神社。
駛馬天満宮の特徴
菅原道真を祀る神社で、多くの人が集まります。
夢枕のお守りが人気で、訪れる価値があります。
住宅街に位置するため、少し道がわかりにくいです。
大牟田市の宮原地区住宅街の中にある鞍馬天満宮。学問の神様で有名な菅原道真公をお祀りしています。太宰府へ流された道真公の自画像が本社に送られ、それがご神体として社殿に鎮座されているそうです。これまで、地方神社をお参りさせてもらっていますが本社にある石造りの鳥居や楼門が古くから存在しているような歴史や雰囲気を感じさせます。天満宮と名をつける神社のなかで、鞍馬天満宮はかなり古い時代からあるそうです。社務所の方より、本殿裏手の高台に古墳(潜塚古墳)の案内を受けました。境内散策と一緒に行きましたが、パッと見て古墳なのか印象しかありませんが、国指定跡の古墳らしいので歴史的にはとても重要なもの。社務所にて御朱印の提供されています。とても親切丁寧に応対していただき、非常に満足度高いものでした。
御朱印をいただきに参拝しました住宅街の中にあるので比較的細い道を行きますが、Googleマップだと迷わず案内されました駐車場は鳥居の脇から上がったところにあります境内は古くからある感じの趣がある感じで、非常に落ち着く感じです御朱印は通常のものと月替わりのものがあり、月替わりの方をいただきました。
大牟田の住宅街にあり、細い路地があったりとどこにあるのか迷いそうになりましたが無事マップで辿り着きました。駐車場もたくさんあり、停めやすそうな第4駐車場に停めました。今年試験を控えているので、合格できるようにお参りしてきました!御朱印帳を購入しました✨絵柄がシンプルで気に入りました!御朱印も春らしくて可愛かったです😊
今回ご紹介する神社仏閣【いいコレ】スポットは、福岡県大牟田市宮原町に鎮座する『駛馬天満宮(はやめてんまんぐう)』こちらの神社は、学問の神様で有名な菅原道真公が太宰府に流された時、都に残された妻子を慰めるために送られた自画像が御神体となってます。道真公が太宰府で逝去した後、それを京に運んだ住吉下野守信晴の夢枕に道真公が現れ、「京にある自画像を乞うて御木国米生(みきのくによねお)の荘(しょう)に社を作り、産土神として祀るべし」」と告げたことから、承平3(933)年に社殿を造栄し祭祀を行うようになりました。また、神仏習合の名残なのか、境内には南北朝時代に作られた県指定有形文化財の「宮原天満宮石幢残欠」「宮原石層塔残欠」の2基があります。こんな歴史深い駛馬天満宮ですが、宮司の田尻さんが思考を施された花手水や御朱印など大変人気となっています。色々と話を伺ったところ、塀に囲まれた本殿の中にはもう一つ社が入っているそうで、火災で燃えた際に残った夫婦であろう2体の石像も祀られているそうです。そして、本殿のちょうど裏手に「潜塚古墳(くぐりづかこふん)」があるとの事を教えて頂き行ってみることに。潜塚古墳の頂上から見下ろすと(写真枚目)クスノキに囲まれた駛馬天満宮の本殿が見渡せました。これが凄いことに、潜塚古墳と駛馬天満宮は一直線上にあり、またその先には世界遺産の「三池炭鉱宮原坑」があります。※写真何枚目の一ノ鳥居の隙間から宮原坑が見えます。3つが一直線に並んでいるのは単なる偶然ではない気がしますね♪P.S.毎年3月と9月の24日、25日には「鷽替神事(うそかえしんじ)」の大祭が行われています。「替えましょ、替えましょ」と呼びあいながら人々が替え合う木鶯には番号が書かれていて、祭り最終日の25日の22時から行われる祭典によって当り番号が決定。当り番号を持っていた人は、幸運の金の鶯を授かることができるようです。[駛馬天満宮由緒]当神社は、神社帳によると、祭神菅原道真神となっている。 菅原道真公が大宰府に流された時、明鏡に向ひ、自画像を描かれ、悲観くれている 都に残された北の方や子孫を慰めんために、その自画像を送って慰められた。その自画像を御神体としている。自画像を持って都に遣いをした住吉下野守信晴は、道真公が亡くなられた後、安楽寺に帰り、墓前にいたが、ある夜、道真公が信晴の枕辺に現われて、 『京にある自画像を乞うて御木国米生の荘に社を作り、産土神として祀るべし』と告げられたので、信晴は、そうそうに三毛師方と談合して宮の原の地に、承平三発巳(933)年十一月二十五日に社殿を造営し、又京都に上りて自画像を乞いて御神体として祭られるようになった。そして、三毛師方から当宮に二部八十町を寄付され、又信晴を惣大宮司政所職に任命し、祭務を執り行わせるようになった。 そののち、天正、永禄のころから争乱やまず、天下の群雄が競って土地を争うようになり、戦乱に次ぐ戦乱により、人々は落ち着いて暮らすことができなくなってきた。 このような乱れた世の中において、当宮にも賊が乱入し、旧記や神宝、また明鏡の自画像などを奪われたのである。 そして、それらは肥後国南関に安鎮されたのであるが、神明怒りをなして、雷がなりひびき社内光輝したために、神威を恐れ、南関の人々は本社宮の原へ送り返したということである。そして、再び当宮において明鏡の自画像を御神体として、祭典をとりおこなうようになったのである。しかるにその後、領主立花氏が宮殿を再建され現在に至っている明治六年三月十四日に郷社に定められた。この他にも、様々な情報をInstagramやFacebook、Twitter【いいコレ+】にて情報発信中です。もし見かけたらフォローして下さいね^ ^#いいコレ#いいこれ#イイコレ#いいコレプラス。
2022.05.07(土)大牟田へ一人旅をした際に行きました。事前に行こうと決めていた神社です。住宅街の中にあり道は狭かったです。Googleマップで案内してもらい行きましたが、駐車場の入り口が分かり辛かったです。登った先は境内内に駐車する形でした。第二駐車場は鳥居の目の前にありちゃんと白線のある駐車場で分かりやすいかと思います。花手水も可愛くて綺麗でしたよ。直書きの御朱印をいただきましたが、迫力のある字でお気に入りです。
福岡県大牟田市にある神社です。手水舎の花が綺麗です。3月限定ご朱印をいただきました。
天満宮の裏(西側)の潜塚古墳から上手(東側)の三池山を望む写真です。現在の大牟田市、旧三池郡(三毛)の重要地点がほぼ直線に並びます。世界遺産の宮原坑も含まれます。
神社までの道は狭いところがあります。神社内は静かでのんびりした感じがしました。遠くに見える山が綺麗でした。
元旦、多くの方が参拝されてました。駐車場までの道が狭くて所々で離合に苦心していました。広い境内の左側には由緒がありそうな、古い石塔が2塔鎮座しています。
名前 |
駛馬天満宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0944-52-3538 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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綺麗な神社です。梅の花が少し咲き始めていました。社務所が空いていたので、可愛らしいお朱印をいただくことができました。