篤姫も感動した、歴史の息吹。
豊前街道 南関御茶屋跡の特徴
江戸時代の御茶屋跡で、歴史を感じることができる場所です。
篤姫が訪れた座敷からの景色が魅力的なスポットです。
春のバラ展や新苗が楽しめる、切り花展示がある季節のイベントです。
御茶屋と背後にある南関城跡と西南の役官軍墓地合わせて予想以上。御茶屋は入館料200円。丁寧な案内映像を観ているとお抹茶と御菓子を出して頂き感動。映像後は超丁寧に館内を案内していただき、いろんなお話も聞けた上、古の貴人が愛でたであろう景色もまんま観ることができ、大満足。案内してくださる方から伝わってくるお気持ちが「来てよかった」と思える訪問でした。おすすめです。
古き良き歴史は残っている物や場所は少ない中で、こちらも建物はありませんが、何か感じるものがありました。行けなかったんですが、ここから上の方に行くと、お城の跡もあるようです。
ボランティアの方に丁寧に説明してくださいました。篤姫が江戸に上るときに立ち寄ったことや江戸時代の釘と現代の釘の違いを教えてくれました。入場券は大人200円でした。抹茶のサービスもありました。
正月のイルミネーション。すごいキレイ。
元学校の先生たちを中心に運営している江戸時代の御茶屋跡、今コロナ感染防止対策でお茶の接待はないがまた先生の話が面白い。
南関御茶屋跡は、南関町役場の北東100mほどにあります。開館時間は、午前9時30分~午後4時30分で、入場料は200円です。土曜日の午後でしたが観光客は誰もおらず閑散としていて、アナウンスだけが大音量で鳴り響いていました。南関は、古代には官道が通り、大水駅が置かれ、国境警備のための関が設けられたとされる地で、古来、交通の要衝として発展しました。関所はその後も機能し、現在の地名に通じる「みなみのせき」が定着したといわれています。道路は、近世においても豊前街道として利用され、江戸時代には参勤交代の道としても大いに利用されました。南関御茶屋跡は、嘉永5年(1852年)に完成し、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊していたものです。古文書によると、それまでの御客屋(南関町公民館付近)が古く狭い上に間取りが悪く、藩主休泊の時に混雑するという理由でこの地に建て替えが行われました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されており、屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。通常御茶屋と御客屋は別々に存在していますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。大政奉還後、国の所有となった御茶屋のほとんどは、小学校や役場などの公的施設として利用されていきますが、その反面、用途に応じた増改築等で御茶屋本来の姿を消していくことになります。南関御茶屋の場合は、明治25年(1892年)に個人の所有となり、「御茶屋跡」として大事にあつかわれ、建物は民家や料亭として利用されました。昭和3年(1928年)には南関町にゆかりのある北原白秋の歓迎会がこの御茶屋で開催されています。平成15年に国の史跡として指定され、同年より保存修理工事に着工し、平成16年度末、修理金およそ1億1400万円を投じて往時の姿を取り戻しました。
篤姫が上洛の際に立ち寄られた座敷からの景色を眺めながら、ガイドの方がたてて下さったお抹茶をいただけます。
静かで素晴らしい所です。南関富士が綺麗に見えますよ。
今日5月3日から5月5日まで春のバラ展(おとな200円お抹茶の接待あり)小代焼とのコラボで、切り花で展示、きれいか~、よかばい‼️新苗(4号ロングポット)700円で販売されとるばい、貴重品種があるかも⁉️つぼみで、花の色がわからんとがタマに傷たい‼️バラ展示ば先に見て、気に入った花の苗があるかもしれんばい?
名前 |
豊前街道 南関御茶屋跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0968-53-0859 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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料亭利用を経て放置され崩れていた建物を屋根瓦が五割以上梁と柱は七割以上を利用して復元されたらしい九州唯一の「御茶屋」(本陣)奇跡の建物現在ボランティアで維持されているとの事200円で観覧と資料動画の視聴茶菓子付きで お抹茶一服頂けます。