木漏れ日の中の神明宮。
荒牧神社の特徴
大日霎命を祭神とした神明宮が特徴です。
源義経が立ち寄ったと伝わる歴史的な場所です。
大きな御神木や豊かな自然が魅力の神社です。
住宅街に南向に鎮座。前は広い公園。同じ神社かと思わず目を凝らすほど冬とはイメージが一変、社殿はパワフルな二本のイチョウの陰でタジタジになつてしまっている。西側のイチョウの下にはジューンドロップした青い実が散見されるのでたぶん雌…。モミジの青い実が目に染みる。
神社の前が公園になっています⛩️境内にある木々からは木漏れ日が指していて爽やかな雰囲気がありました♪また、入口付近にあるイチョウの木が立派です❗️灯篭の受部分は干支の模様になっています。
御祭神 大日霎命 建御名方命 火産霊命 素盞嗚命 豊城入彦命 誉田別命 罔象女命 大雷命 菅原道真公 埴山姫命由緒沿革この神社は大日霎命を祭神とする神明宮です。里伝によれば、平安時代の末、源義経は荒牧の地で伊勢三郎義盛と主従になりました。当社は以前には伊勢宮と称して伊勢氏の勧請した社であるといいます。明治四十年(1907)三月に許可を得て、字上宿の村社諏訪神社同境内末社八社(秋葉神社、八坂神社、赤城神社、八幡宮、雷電神社、菅原神社、愛宕神社、水神社)、同所の無格社八幡宮を本社神明宮に合併し、荒牧と改称して今日に及んでいます。(「南橘村誌」より抜粋)荒牧神社の由来源平盛衰記に「源義經は上州荒牧という所にて云々」「社は伊勢宮(神明宮)と称し云々」とあり、荒牧には平安時代から神社が存在し、宝暦年間(1751~63)に建て替えられました。明治初期の神社調査書によると八幡宮、神明宮等があり諏訪神社の境内には末社として秋葉社、八坂社、赤城社、八幡社、水神社、雷電社、菅原社、愛宕社が祀られていました。明治四十年(1907)、政府は「神社合併令」を出し一村一社を奨励しました。村民は許可を得て神明宮境内に八幡宮と諏訪神社(末社八社を含む)を合祀して村社荒牧神社としました。(境内由来碑より)鳥居脇のイチョウは前橋市指定保存樹木です。
源平盛衰記に「源義経は上野国荒蒔郷というところにて…」という一節があり、頼朝に追われて陸奥へ落ち延びた義経一行が、長い旅の途上、立ち寄ったのではないかと言われているそうです。確かに荒牧という地名は古く、平安時代の「延喜式」には、すでに登場しているといいます。現在の渋川市にあった有馬島牧を広げるため、利根川が流れを変えてできた中洲に、新しい牧を作り、これを「荒牧」と名づけています。また別の史料では、この荒牧神社は明治初年までは「伊勢神社」といったそうです。それは義経の家臣の伊勢三郎義盛に由来するとのことです。伊勢三郎義盛は碓井郡板鼻の人でしたが、義経が少年時代に鞍馬から奥州へ向かったとき、板鼻に宿泊したのが縁で、家臣となりました。その後、板鼻から前橋に移り住み屋敷を構えたので、この辺りは古くは伊勢と呼ばれていました。義経が再び奥州に向かった際、ここに立ち寄ったのは、義盛との関係のせいかも知れません(*^^*)
| 名前 |
荒牧神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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南方面を向いて鎮座しています。前は公園。数々の神が祀られています。