平安の武将、今井四郎兼平の墓探索。
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今井神社の隣接地にある今井四郎兼平の墓。 今井兼平は義仲四天王の一人で、義仲に従い各地を転戦しましたが、 元暦元年(1184年)正月、琵琶湖の畔の粟津で義仲とともに敗死しました。
名前 |
今井兼平墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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今井兼平はこの地、信濃国今井の地を領して今井を称していた平安時代末期の武将。父は中原兼遠で木曾義仲の乳母子義仲四天王の一人。『平家物語』の「木曾殿最期」の段での一幕は余りにも有名。元暦元年(1184)鎌倉軍に追われ敗走する義仲に従い、粟津の戦いで義仲が自害する時間稼ぎをし奮戦するも、主君義仲が討ち取られたと知った直後、「東国の方々よ、これが日本一の強者の自害する手本とせよ」と太刀の切先を口の中に含み、馬上から飛び降り、太刀に貫かれ自害した。享年33歳と伝わる。このほか各地に兼平の墓所が現存している。駐車場なし、今井神社境内がベスト。