千年の歴史と子安地蔵が息づく。
小脇乃里由来碑(小脇地蔵尊由来碑)の特徴
千年の歴史が息づく小脇地区の子安地蔵菩薩に由来する場所です。
昭和38年の豪雪を体験した人々の思いが詰まったエリアです。
小脇公民館前にある石碑が地域のシンボルとして親しまれています。
昭和38年の豪雪は6mも積もったらしいですね…想像するだけで恐怖を感じます。この豪雪がきっかけとなって周辺の村も離村する方が増えたそうです。
小脇(こわき)地区は、千年の昔から子安地蔵菩薩の庇護のもと に栄えてきたと言われています。昭和30年には10世帯、54人が 生活していましたが、昭和38年の豪雪を機に村を離れて行く人が 相次ぎ、故織戸信治さんが最後まで菩薩を守り続けていましたが、 平成元年九月に棲厳山 常徳寺(平)に移され安座されました。 本尊なきあともこの故郷に懐かしさを寄せ、在りし日の小脇を偲ぶ 思いから、離村者の方々が平成五年(1993)四月吉祥日「小脇 乃里由来碑」を建立されました。広報たんご縮刷版によると、うららかな春の日差しに包まれた平 成五年四月十八日、廃村(平成元年)になった小脇地区で、小脇 会六十人が出席して「小脇地蔵尊由来碑」除幕式が行われました。 と当時紹介されていました。小脇会のメンバーの方は、以前は毎年小脇公民館に集まって交 流をしていましたが、近年は隔年ごとに集い思いをはせています。
高善寺(高禅寺)にあった「小脇の子安地蔵」。かつて災害から、村民を守ったという伝説があり、絵本にもなっています。明治40年に高善寺(高禅寺)が廃頽し、その後お地蔵様は、丹後町平の常徳寺さんに移られました。小脇村は、江戸期~明治22年の村名だそうです。碑は、かつて小脇にお住まいだった方々が建立されたそうです。宇川から小脇まで、大きな車で行くのは厳しいですよ〜。小脇発電所くらいまでなら大丈夫かも。
小脇公民館兼共同作業所の前に建てられた石碑。石碑の後ろには小脇地区歴史が刻まれている。
名前 |
小脇乃里由来碑(小脇地蔵尊由来碑) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/t_kamiukawa2506.pdf |
評価 |
3.6 |
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小脇村は千年の昔より子安地蔵菩薩のご庇護のもとに栄えてきたのである。子安地蔵菩薩は、聖徳太子の弟君磨子親王が万民の平癒と子宝安産を祈願されて三体の地蔵尊を造られ、その一体が子安地蔵菩薩として元斉宮明神に安置されていたが、嘉吉年間大津波の水難から守るため小脇亥狩ヶ嶽に安置、その夜菩薩は村人の夢路に立ち「われ万民の諸病救済と子宝安産を念ずる地蔵菩薩なるぞ」とお告げになった。村人は隨喜して堂宇を建て尊崇した。或る年の冬稀に見る大雪に見舞れた時菩薩は「大雪崩近きにあり早く逃れ去れ」とお告げになり自ら巨岩の上に逃れられた。お告げを信じた十三戸の家族は避難したものの不信の輩は聖告を信ぜず疑惑の中に大雪崩に遭い村は悉く壊滅した。奇跡に命を得た村人は尊崇の念一層深め、この地に居住して地蔵菩薩が立たれた巖を瑞巖と称し享保二年瑞巖山高禅寺と号し智源寺四世慮雪禅師を請し開山子安地蔵菩薩を本尊とする村人の信仰は日々深く難産に苦しむ者なく平穏なたたずまいをみせていた万緑深山幽谷のこの里をこよなく愛した禅師は湧き出する 小脇の里の水清く 流れもつきず 高禅寺かな と詠まれている。小脇(こわき)地区は、千年の昔から子安地蔵菩薩の庇護のもとに栄えてきたと言われています。昭和30年には10世帯、54人が生活していましたが、昭和38年の豪雪を機に村を離れて行く人が相次ぎ、故織戸信治さんが最後まで菩薩を守り続けていましたが、平成元年九月に棲厳山 常徳寺(平)に移され安座されました。本尊なきあともこの故郷に懐かしさを寄せ、在りし日の小脇を偲ぶ思いから、離村者の方々が平成五年(1993)四月吉祥日「小脇乃里由来碑」を建立されました。広報たんご縮刷版によると、うららかな春の日差しに包まれた平成五年四月十八日、廃村(平成元年)になった小脇地区で、小脇会六十人が出席して「小脇地蔵尊由来碑」除幕式が行われました。と当時紹介されていました。小脇会のメンバーの方は、以前は毎年小脇公民館に集まって交流をしていましたが、近年は隔年ごとに集い思いをはせています。手入れはされていますが、私が訪問した時、丁度、公民館にスズメバチの巣があり、かなりの数が飛んでいたので注意が必要です。