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名前 |
奥州街道 石阿弥陀の一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
石阿弥陀の一里塚(別名 芳野の一里塚)慶長期の初期の奥州道中のルートは、白坂宿から「吉野宿」を通り、鬼越から土武塚を経て城下に入るルートだったという。芳野の石阿弥陀の一里塚は、当初の奥州道中ルート上にあった日本橋から46里目の一里塚である。吉野(芳野)宿は、芳野遺跡として発掘調査が行われた白河南中学校付近にあった。遺跡からは鎌倉時代後半から室町時代の遺物を中心に、江戸時代初期の遺物、縄文前期の土器、石器が出土した。遺構の中央を東西方向に道跡が確認されており、ひとつは遺構の東側にある石阿弥陀の一里塚に向かって伸びる初期の奥州道中跡、もうひとつは鍛冶屋屋敷跡の北側に向かう鎌倉から室町時代と推定される中世の道跡(奥大道か)だ。「吉野宿」は奥大道の時代から奥州道中の付け替えが行われた時期まで存在した。