半世紀の時を越えた青木湖の想い。
青木湖バス事故慰霊碑の特徴
青木湖畔での悲惨なバス事故の歴史が感じられる場所です。
1975年のバス事故を後世に伝える重要な慰霊碑です。
大町市の急カーブで起きた事故の記録が残っています。
自分が中学生だった時この悲惨な事故が起こりました。当時はスキーブームでこの方面のスキー場は何処も凄い混雑であった事を思い出しました。数年前この観音様を拝みに来たときはスキーバス事故の立て看板があったような記憶がありますが、今回来た時は何も詳細が分かるような物は有りませんでした。半世紀経ち、お参りに来る方々も少なくなっているのでしょう。
青木湖バス転落事故は1975年1月1日、ホテルに宿泊していたスキー客をスキー場に送迎していたバスが青木湖に転落したというもので、乗客24名が亡くなりました。この時バスには定員32名のところ62名を乗せているという寿司詰め状態だった上、このバスは大型車では必須だだったタイヤチェーンを装着していなかったそうです。当時現場は未舗装で凍結していた坂道だったということで、そんな状態で走行していたバスには驚かされました。運転手は左側のミラーが確認できなかったことからできるだけ右に寄せてカーブを曲がろうとしたところ右のタイヤが脱輪、バスはそのまま青木湖へと転落したのでした。慰霊碑の前の道路は急なカーブになっていて、慰霊碑のすぐ前は広くなっていて駐車ができる程度の広さがありました。この広くなっている場所のすぐ横が急な斜面になっていてこの場所からバスは青木湖へと転落したのでしょうか。
1975年(昭和50年)1月1日午前11時20分頃、長野県大町市の青木湖畔にある市道の急カーブでホテルのスキー客送迎バスが運転を誤り崖から33メートル下の青木湖に転落、乗客24人が逃げ遅れて死亡し、15人が負傷した。
名前 |
青木湖バス事故慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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半世紀経つんですね。