後村上天皇御坐の碑で歴史探訪。
後村上天皇御坐之處(多賀城神社)の特徴
1935年に建立された後村上天皇御坐之處碑が特徴的です。
南北朝時代の歴史的背景を持つ史跡として注目されています。
多賀城神社本殿の西側に位置し、訪問者に歴史を感じさせます。
2021年8月20日に参拝しました。後村上天皇は、後醍醐天皇の第7皇子にあたります。まだ、親王になる前も含めて、ここ多賀城に通算3年間住んでいました。南朝の第二代天皇に即位しました。南朝を支えた北畠親房・顕家父子も一緒に祀られています。
多賀城神社本殿の本殿の西側に立つ「後村上天皇御坐之處」碑は神社創建より前の1935年(昭和10年)4月に城村史蹟名勝保存会の手で建立されたものです。多賀城神社は後村上天皇を主祭神とした神社で1952年(昭和27年)4月、国から払い下げられた旧海軍工廠内の奉安殿を本殿として多賀城政庁跡の北東の一角に創建された神社で多賀城市内では一番新しい神社です。その後、多賀城政庁跡区域が史跡公園としての整備に伴い、古代、多賀城鎮護の八幡社跡と伝えられる現在地に1973年(昭和48年)に遷宮しました。
| 名前 |
後村上天皇御坐之處(多賀城神社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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南北朝の大変な時期に活躍した人。父の後醍醐天皇が多賀城に創設した奥羽将軍府の最高責任者となった。側近の北畠顕家を陸奥守に任命し、足利氏の勢力を抑えるため多賀城に入城し、その後北朝と各地で戦となった。南北朝の争いは足利尊氏も降伏し南朝が勝った(三種の神器も接収した)が、残党が粘り強く、北朝側に結局破れてしまった。しかし、明治天皇及び政府により南朝が正統とされたことにより歴代天皇として列さることとなった。