歴史感じる志賀海神社のパワースポット!
志賀海神社の特徴
志賀海神社は歴史が深い、由緒正しき神社です。
龍神が主る神社として知られ、パワースポットです。
清め砂で身を清め、心地よい参拝体験ができます。
天の橋立を思わせる海の中の細い道をいくとそこにあるのが志賀海神社。色々な言い伝えが美しいので是非調べてからいくべし。それを知らなくても感動する名所。
高台にあり見晴らしがよく好きな神社の1つです。トイレが綺麗なのも嬉しいです。この日はイベントで、たくさんの龍の絵やオブジェ、太鼓の演奏が素敵でした。
奉納された一万本の鹿の角がなんともいえない雰囲気でした。金印のレプリカとお守りがお求めできます。祭神は、次のように左・中・右殿に主祭神が各1柱、相殿神が各1柱が祀られている。主祭神の3柱は「綿津見三神(わたつみさんしん)」と総称される。左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)祭神のワタツミ(海・綿津見・少童)三神は、「海 \u003d ワタ・ワタノハラ」という古名に見えるように、海の神とされる。『古事記』『日本書紀』の神産みの段では、禊ぎにおいて住吉三神とともに生まれた神として次の記載が見える。『古事記』誕生した三神の底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神を「綿津見神」と総称し、「阿曇連(あずみのむらじ)らが祖神ともちいつく神なり」と記す。『日本書紀』「生めりし海神等を少童命と号す」と述べたのち、誕生した三神の底津少童命・中津少童命・表津少童命について「阿曇連らがいつきまつる神なり」と記す。このように、ワタツミ三神は記紀においては阿曇氏(あずみうじ/あづみうじ、安曇氏・阿曇族・安曇族)の祖神または奉斎神とされている。阿曇氏の読み「アズミ/アヅミ」もまた「アマツミ(海津見)」の略とも見られるように、この神を奉斎する阿曇氏は海人集団を管掌する伴造氏族であった。『先代旧事本紀』では、同じく神産みの段で「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」と記されており「筑紫斯香神(つくしのしかのかみ)」の名で志賀海神社が氏神に挙げられている。 Wikipediaより。
志賀島の南東、海を臨む小高い場所に鎮座する神社。海の神である綿津見三神を祀り、その創建ははるか古代に遡るともいわれます。海の安寧、航海の無事を祈る人々によって、古来深く崇敬されてきたようです。境内の一角からは広く海を見わたすことができ、この神社の位置がよくわかります。
海を渡りすぐに右へ、夏場は海人がたくさんいるので運転注意。細い道なりに進むと鳥居が見えてきます。右に曲がってすぐが駐車場で、結構な数駐車できます。神社の境内へは正面の鳥居からと、駐車場わきの鳥居からの2方向から上がれます。正面の階段は緩やかな傾斜ですが、駐車場からの階段はまあまあ急で狭いので注意。神社の境内は広く、本殿の裏手にも数々の社が設置されています。暑い日には境内左手の資料館か、その下のお手洗いが空調があるので避暑には最適でした。
駐車場が少しわかりにくく山の方へいってしまいました。駐車場は、参道の右側にありました。少し石段を登ります。境内は高台にあるので景色がとてもよかったです。福岡方面が一望できました。とても静かな神社ですが、参拝客の人は日曜日だったからかとても多かったです。とびうおのおみくじがあり、釣糸で釣って選ぶ珍しい方法でした。社務所の方は、少しそっけない感じがしました。
志賀島は何度も来た事があったのですが、志賀海神社ははじめて来ました。階段をあがっていきますが、そんなに本殿まで遠くありません。境内からの眺めが凄く良く、広く海が見渡せます。高台で風も心地良く感じ、心身共にリセットしていただきました。近くに来た時は寄ってみると、いい運動にもリフレッシュにもなります。
歴史ある神社⛩とても、風情あるパワースポットですね♪石段を登り鳥居をくぐり、鳥の鳴き声と海の波音を聴きながら身も心も清められる神社です。多くの御利益があるそうです!交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、健康長寿、家内安全、子供守護。
志賀島の高台にある神社。なんの気なしに海の見えるロケーションを探してたどり着いたのがここ。拝殿付近からは周囲に木が茂っているところが多いため、見晴らし自体が最高にいいわけではありませんが、部分的に対岸の福岡の街を見ることができます。広大な駐車場の割に人はまばら、でも人が途切れることなくパラパラとお参りに来ているという不思議な感じのところ。境内入って右手に鹿の銅像があり、その横にあった鹿角堂と言われる蔵の中には鹿の角がてんこ盛りに納められています。でも、どこにも説明書きもなく、色んなサイトでも調べてみましたがなぜこんなに沢山(話では1万本程度らしい)あるのかも不明(笑基本は海の安全、豊漁の祈願を主としている神社なので、鹿のイメージは全然無いです。お堂では誰が頼んだ訳でもなく神主がご祈祷なされており、なんだか不思議な神社でした。もう一回行って詳しく聞いてみたいと思わせる趣のあるところでした。
名前 |
志賀海神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
092-603-6501 |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP | |
評価 |
4.5 |
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全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する。龍の都と称えられ、古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。創建は不詳[1]。社伝では、古くは志賀島の北側、勝馬浜において表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮(おきつぐう)の3宮から成っていたが、阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったという。仲津宮・沖津宮は現在は摂社となっている。その阿曇磯良は、神功皇后の新羅出征において舵取りを務めたとも伝えられる。 古代の九州北部では、海人を司る阿曇氏(安曇氏)が海上を支配したとされる。志賀島は海上交通の要衝であり、その志賀島と海の中道を含めた一帯が阿曇氏の本拠地であったとされており、志賀海神社は阿曇氏の中心地であったと考えられている。現在も志賀島の全域は神域とされ[7]、現在の神主家も阿曇氏の後裔を称している[6]。なお阿曇氏の活動は日本全国に展開したといわれ、長野県安曇野市、石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、愛知県渥美半島といった「しか」・「あつみ」という地名は、その遺称地と伝えられる。 また志賀島は金印(漢委奴国王印)が出土したことで知られるが、当地で奴国の印が出土した理由は明らかではなく、阿曇氏ひいてはその氏神たる志賀海神社と奴国の関わりを推測する説もあり、同東区名島の名島神社では阿曇氏を儺(那)懸主であるとしている。