悲しげな蜘蛛の巣と菊池氏の歴史。
菊池氏十二代当主 菊池武時(1292年~1333年)の像十代 武房の孫で、十一代 時隆の弟にあたる。1333年、鎌倉幕府打倒を掲げた後醍醐天皇に応え、九州における幕府の出先機関である鎮西探題を襲撃した。幕府に反感を抱いていた少弐氏・大友氏と事前に共謀して討ち入りに臨んだが、直前に裏切られ、援軍が望めない中、菊池勢・阿蘇勢わずか70名あまりで作戦を決行したが、多勢に無勢の状況下、武時は自軍の敗退を覚悟、息子の武重(後に十三代当主)、武光(後に十五代当主)に撤退を命じた。この場面は「袖ヶ浦の別れ」として語り継がれている。その後、探題館にて壮絶な戦いを繰り広げるが、寝返った少弐軍・大友軍に背後を突かれ、突入した武時以下、全員が討死した。この忠節ぶりは、後に大楠公(楠木正成)によって、南朝への忠誠の第一人者と高く評価され、後醍醐天皇への進言を得て、十三代 武重が肥後守に任命されるという形で報われた。首が切られたのに気づかないまま数キロ走り抜けたという伝説が残っており、首が落ちたとされる福岡市中央区の六本松に首塚、首を失った胴が倒れたとされる福岡市城南区の七隈に胴塚として、二つの墓が残っている。現在は首塚がある場所で菊池霊社の主祭神、胴塚がある場所で菊池神社の主祭神として祀られている。
名前 |
菊池武時公像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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蜘蛛の巣がはってて、なんか若干悲しげ。