神話の息吹感じる小社へ。
神興神社の特徴
福間東中学校の横に位置する、ひっそりとした小さな神社です。
由緒正しき神社で、特に神話や古代史に興味がある方におすすめです。
宗像三女神が祭られた歴史深い場所で、例祭は十月五日に行われます。
説明文あります。
境内はそれほど広くなく、とくに観光するような場所ではありませんが、由緒正しき神社のようで、神話や古代史が好きなかたには楽しめる場所かもしれないです。
福間東中学校横に、ひっそりと立つ小社。何も特別な所はないように見える。ところが宗像大社の社伝に拠ると、宗像三女神が現在の地に鎮まり坐す直前に御座した場所で、その威光耀いた故に、この地を神興と称したという。つまり宗像大社の元宮。しかも「神興廃寺」跡地でもあり、手水の石は実は、その柱を支えた礎石だった。大正時代に延喜11(911)年銘の平瓦が出土、これが日本に残る2番目に古い瓦。となると、神仏混淆の始まりに近い重要な施設のはずなのに、寺院名などは不明。寺院であったのかすら不明。現存する小さな祠は、戦乱の果てに社殿ことごとく失われた跡に、住民が再建したものという。西海道風土記に曰く。宗像大神、天より降りまして埼門山に居ます時。青蕤(あおに)の玉を以て奧津宮の表(しるし)と置き、八坂瓊(やさかに)の紫玉を以て中津宮の表と置き、八咫鏡を以て邊津宮の表と置き、此の三表を以て神體の形と成し、三宮に納め置いて即ち之に隱る。因りて身形郡といふ。後の人改めて曰く宗像。其の大海命が子孫、今の宗形朝臣等是也云々今の鞍手郡鞍手町室木に六嶽(むつがたけ)神社があり、六嶽とは高祖峰・天冠峰・羽衣峰・出穂峰・崎門峰・旭岳を併せていうらしい。昔は、そこまで宗像郡が延びていた訳だ。この内の崎門嶽に宗像三女神が降臨し、次いでこの神興神社に遷ったというのだから、元は宗像に居らず、他所から移ってきた神ということになる。それはやはり、宇佐からなのだろうか。だとすると、それより前に居た神はどこに行ったのか。
【案内板より】神輿神社縁起祭神宗像三女神(天照大神の御子神) 多紀理姫命 市杵島姫命 多岐都姫命神輿神社は往時より斯の地に御鎮座あり十一部落即ち上西郷、下西郷、久末、津丸、手光、村山田、八並、本木、畦町、内殿、舎利蔵の住民に依り祭祀を斎行す(例祭は十月五日)宗像社縁起に曰く、宗像三女神初め室木の六ケ嶽に御着、その後此の地に留り給う。此の村に於て神威輝耀を以って神輿と号す。その後三所の霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり云云とある。その三所に遷り給える後も、この地にも御社殿厳かにして祭祀も盛んなりしことかや、然れども何れの頃にかや兵乱に遇い御社も崩壊せしが、村民の土一をいう者に夢の御告げあり、小祠を営めり、その後旱魃、凶作年に祈願すれば、霊應ありとて隣村民力を合せ石祠を建立す。大正年間古瓦発見せられ、鑑定の結果延喜十一年の銘あり、吾が国で二番目に古い瓦と解りこの神社の往時の壮大なるを偲ぶ。
名前 |
神興神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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小さな神社です。きちんとお手入れされてます。