古墳の中で昼寝、歴史を感じる。
厳嶋神社の特徴
古墳を利用したユニークな砦跡でのんびりと過ごせる場所です。
厳嶋神社が城跡とされる歴史に触れられるスポットです。
周辺の松原市立第七中学校が本城という貴重な歴史が残っています。
古墳を利用した砦跡。周濠一部残り悪水溜まる。
誰も来ないのでいつもここで昼寝をしています。
厳嶋神社が城跡とされているが、この界隈は出城であり、松原市立第七中学校辺りが本城だったそう。遺構としては裏側にある池がお濠の名残と思いたいが実際はどうなんだか、って感じ。境内にある土塁ぽいものも遺構かどうかは謎なのじゃ。まぁ城跡としてはチト寂しいものの由緒書きに城跡の記載があるだけでも嬉しいじゃないか、それだけでも嬉しいじゃないか、と私は思う。
名前 |
厳嶋神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

5〜6世紀頃の前方後円墳と考えられるそうです。古墳の上に神社が建ってます。今はパッと見、小さな古墳?丘?みたいに見えます。も少し大きい古墳だったのかな?調べてみると歴史が詰まった場所でした!コピペですが↓南北朝時代に楠木氏の一族である和田氏がとりでとして守り、一津屋城の名づく。『河内志』によると「一津屋城、三好駿河守所保」と記されており、戦国時代に三好氏の処保とある。三好長慶が畿内を支配しようとした戦国末期の16世紀半ばごろ、河内でも激しい戦いがくりひろげられました。三好長慶は、高屋城主で河内守護の畠山氏を討つため、一津屋のすぐ東北の本市若林に1547年に陣所を置き、1560年には進軍しています。三好氏の河内攻防の過程で一津屋にも城砦がつくられたと思われる。三好氏はまもなく畠山氏を討って河内を直接支配しましたが、1575年に織田信長は三好氏などを圧倒して河内を平定しました。信長はこの時、高屋城・飯盛山城・信貴山城という主要な城郭をはじめ、 河内大塚山古墳を利用した丹下氏の丹下城など、各地の城砦をことごとく破却しました。 一津屋城も、このときひ破却されたと思われる。