歴史感じる逢坂の眺望。
逢坂の特徴
大阪七坂の一つ、逢坂の歴史を感じられる碑です。
上町台地の西側に位置し、悠久の眺望が魅力的です。
南進した先にある、ひっそりとしたロードサイドの風景です。
松屋町筋南進、25線左折すぐにある、上町台地、大阪七坂の一つの碑。
道路(坂)としての逢坂は上町台地の西斜面の坂で、現在の国道25号四天王寺前交差点(谷町筋交点) - 公園北口交差点(松屋町筋交点)間にあたる。天王寺七坂の一つで、最も南に位置する。安居神社⛩️から、四天王寺までの坂道をいいます。
天王寺七坂の一つで一番南の坂にあたる。四天王寺さんから一心寺前を通り松屋町筋の突き当たりまで下っている。現在国道25号線。坂の上からは都会の街並みに通天閣が聳え立つのが見える。その昔、四天王寺創建時には海岸線が迫っていたらしく、沈む夕陽の彼方に極楽浄土を見る日想観に相応しい坂だったように思う。
大阪市の中心部、上町台地(うえまちだいち)の西側にある歴史的価値のある七つの坂、“天王寺七坂”。こちら「逢坂(おうさか)」は一番南に位置する坂で、天王寺七坂の中で唯一、大きな国道になっている坂です。天王寺公園の北側に位置する“公園北口”交差点から、遺骨を集めて造られる“骨仏”で有名な“一心寺”のある“一心寺前”交差点辺りまでが逢坂と呼ばれる範囲のようで、かつては大八車という荷台に車輪が付いた木製の運搬用具を使って上町台地から西へ物資を買い出しに向かっていたそうな。荷物をたくさん積んだ大八車を引いて逢坂を登るのはとても大変で、それを後ろから押して手伝い、手間賃を稼ぐ“押し屋”という商売まであったのだそうです。そんな逢坂、現在は車の通行量も多く歩道も歩行者や自転車が非常に多く行き交う国道になっていて、他の六つの坂のような風情は全くありませんが、路傍に建てられた案内板と石碑だけは天王寺七坂のひとつであることをかろうじて伝えてくれます。
逢坂の登り口にある歩道橋からの眺望が良い。天王寺七坂のひとつで、最も南に位置する。近代以前は急な坂だったと伝えられ、道も狭く、四天王寺参道と繋がっていた。1876年に茶臼山観音寺の住職が寄付を集めて坂を切り崩して緩やかにする工事を行った。1909年に大阪市電西道頓堀天王寺線の敷設に伴い、道路が拡幅されてほぼ現在の姿になった。
逢坂、今は緩やかな道幅の広い坂ですが昔しは、急な坂だったそうですね😃
道路脇にひっそりと立っています。国道25号沿いの為、車の往来は非常に多いが、歩行者は少ない印象です。
天王寺七坂のひとつ。道標と説明看板のみでした。
天王寺七坂の一つ。ハイキングコースの定番。古くは相坂とも。かなりの急坂だった。逢坂の起源はいくつもあるので、独自解釈をすると、相合坂(縁結び坂)や、天神坂などを見ると神社仏閣の巡礼に好奇心をそそるネーミングを付けていったのかな?あうさか。何とあわせてくれるの?神?人?何か?昔の人は、洒落が効いてロマンスあふれる人が多かった。
名前 |
逢坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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天王寺七坂。合法ヶ辻から東へ上がって四天王寺西門に至る坂道。名前の由来は「逢坂の関」から来ているという説と、聖徳太子と物部守屋が信じる方法を比べ合わせた「合法四会(=合坂)」(がっぽうがつじ)から来ているという説があります。近代以前は馬車馬が音をあげるほど急な坂だったようで、明治9年(1876年)に茶臼山観音寺の住職(静明)が寄付を集めて坂を切り崩して緩やかな坂にする工事を行ったことで今の坂になりました。