日本一大きな手水鉢で神秘体験!
末廣神社の特徴
慶長6年に創建された歴史ある神社です。
日本一大きな手水鉢が目を引く神社です。
静かで見晴らしの良い山中の趣を持っています。
さすが森藩の神社だけにあります。参拝したらわかります。ペトログリフあります。まるっとこの神社で他の神社に参拝しなくてもご利益があるとおもわれます。アメノミナカヌシ、大山祗尊など素晴らしいと思う。
玖珠町森にある神社。森藩初代藩主で村上水軍の久留島康親が氏神である大山積神の御分霊を祀った神社で現在の様な城仕立ての境内は八代藩主通嘉によって造られました。豊後森駅からタクシーで移動。山の中にある苔むした地面と反り立つ石垣は本当に城跡のようでとても迫力があります。自然を感じられる気持ちいい境内でした。社殿などの建物も歴史を感じられるものばかり。拝殿前の手水鉢は日本で1番大きい手水鉢らしいです。おみくじと書き置きの月替り御朱印が頂けます。また神社周辺には久留島家縁の建物や角牟礼城跡などあり江戸時代の街並みが残る森の伝統的建造物エリアもあり観光できる場所が沢山ありますよ。
三島公園の駐車場から公園を経て神社まで登りました。上り坂で約10分です。神社内に日本一の手水鉢があります。かなり大きいですね。
三島公園の最頂部にある神社。この一帯は、森藩久留島氏の陣屋があった場所で、初代藩主 久留島康親公が、郷里の伊予国大三島の三島宮(大山祇神社)を勧請したのが始まり。当初は三島宮と呼ばれていましたが、明治時代に妙見宮と合祀した際に、末廣神社と改名。現在に至ります。御祭神は、大山積大神と天之御中主神。社殿は派手な彩色はありませんが、総欅造りで各所の装飾は見事。また、本殿は「鞘堂」と言われる覆屋に覆われている、珍しい造りになっていて趣きがあります。城持ちが許されなかった為に天守閣は存在しませんが、神社を勧請した際に改修を行い、お城のような石垣が随所に見られ、見応えのある縄張りとなっています。また、神社の裏には、かつて拠点として利用されていた角牟礼城への登山口があります。
駐車場からは大分歩きますが、歴史的建造物も多く飽きません。帰りは反対側から降りると、又色々と楽しめました。以下引用させて頂きました。末廣神社藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。豊後森藩・久留島家の氏神三島公園は、久留島陣屋と三島宮の跡地で、8代藩主・久留島通嘉(くるしまみちひろ)が、三島宮の修築という名目で、お城仕立てに改築、天守風の御茶屋「栖鳳楼」、藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門御茶屋庭園、石垣などを築いて城構えのような陣屋にしています。この三島宮は、妙見宮を合祀し、明治6年に末廣神社と改称。本殿は総檜造りの入母屋造で、江戸後期の文政12年(1829年)の築造。本殿の建屋を覆う切妻造の「鞘堂」は、文政5年(1822年)の築造とされ、ともに大分県の文化財に指定されています。末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。天之御中主神が祀られるのはは、北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀った神仏習合の妙見宮が明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で、天之御中主神を祭神とするようになったため。末廣神社名称末廣神社すえひろじんじゃ所在地大分県玖珠郡玖珠町森864関連HP玖珠町公式ホームページ電車・バスでJR豊後森駅から玖珠観光バスで童話碑入口下車、徒歩3分ドライブで大分自動車道玖珠ICから約2km駐車場三島公園公共駐車場(30台/無料)問い合わせ玖珠町社会教育課TEL:0973-72-7151FAX:0973-73-9132三島公園(久留島陣屋跡・旧久留島氏庭園)藩政時代、豊後森藩の陣屋が置かれたのが、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園。豊後国森藩の8代藩主、久留島通嘉(くるしまみちひろ)が、6年の歳月と巨費を投じて築造させた久留島陣屋跡。三島公園として整備された園内には、旧久留島氏庭園、末廣神社、末廣久留島武彦記念館大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園内にあるミュージアムが久留島武彦記念館(くるしまたけひこきねんかん)。旧町立保育園を増改築した記念館で、玖珠町出身の童話作家の久留島武彦を紹介しています。久留島武彦は、童謡『夕やけ小やけ』の作詞者で、童話を語り末廣神社・栖鳳楼藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある末廣神社。江戸時代後期、この地にあった三島宮改築を名目に、石垣や堀、楼閣形式の別邸である栖鳳楼(せいほうろう)、大名庭園などを配し、城郭のような体裁を整えていきました。
童話の里、玖珠町…。美しい湧水や豊かな自然に囲まれた素敵な町🌳🌲🍃💧💚✨神社さままでの道のりは、昔懐かしい街並みを眺めながら向かいます。至る所に童話の主人公達のオブジェを目にします👀💕😊《日本のアンデルセン》と称された久留島武彦さんの「久留島武彦記念館」もあります。【御祭神】大山積之大神天御中主之神三島公園(久留島陣屋と三島宮の跡地)園内に鎮座されていらっしゃいます。慶長6年(1601年)、豊前国森藩主初代藩主・久留島康親公(長親公…のちに名を康親と改めていらっしゃるそうです。将軍・徳川家康からの一字拝領とみられるとありました)がルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が「大山積之神」さまを信仰されていらっしゃったようで、郷里の伊予国の氏神さまである三島宮さま(大山祇神社さま)より、神さまを勧請されました事が始まりといわれているそうです。明治6年にこちらの地方に以前より祀られておられました妙見宮さまの御祭神「天之御中主神」さまを合祀。『末廣神社』さまと改称され現在に至っていらっしゃるとのことです。初めてのご縁をいただきました日は森祇園祭りが行われいました。お上りの御神輿を拝見させていただきました。太鼓の音と、宮司さまが奏上される祝詞を拝聴させていただき、厳かな氣の流れの中で有難くお詣りさせていただきました。御朱印は、拝殿前にご用意くださってあります。どうもありがとうございました(*´ ˘ `ㅅ💗🅿️…有り(案内表記下さってあります)神社さまの詳細はInstagram《公式》@suehirojinjya.kusuでご覧になれます。氏子さまがたの写真は許可をいただいて撮らせていただきました🙏☺️
慶長6年(1601年)初代森藩主 来島康親によって故郷伊予大三島から御勧請鎮祭された神社で、 御祭神は天御中主神と大山積神の2柱の神です。本殿は鞘堂(さやどう)と呼ばれる外殿によって建物自体を覆われています。ちなみに鞘堂、覆屋(おおいや)、覆堂(ふくどう又はおおいどう)は呼び方は違ってもほとんど同じもののようです。
雰囲気、ある神社です😄
山中の神社という趣。社務所の前をぬけると、角埋山登山口があり、徒歩で最短に登れる。
| 名前 |
末廣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0973-72-4792 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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雨上がりの朝に訪問しました参道は苔が多く一面緑色のイメージ滑ってコケそうになりました危ない、危ない。