見頃の英彦山庭園跡!
政所坊跡庭園の特徴
英彦山の庭園群の一つで、紅葉が見頃でした。
美しい庭園で、季節ごとの風情を楽しめます。
穏やかな自然に囲まれた絶景スポットです。
2020/11/03時点での紅葉はまさに見頃と言った感じでした。
英彦山の庭園群の一つ。英彦山神宮の脇道を行ったところにある池泉庭園。安土桃山時代〜江戸時代初期に作庭されたものと考えられ、同じ英彦山の旧亀石坊庭園と比べても規模が大きなものになっています。【看板から文字起こし】旧政所坊跡・庭園 十四世座主舜有が後嗣として迎えようとした秋月氏の養子の件は、大友義統の英彦山攻めによって解消となり、法親王の血脈をもって座主とすることになった。そこで舜有の娘と秋月氏の長男種長との間に生まれた孫を後嗣とすることにし、座主か決まらないうちに舜有が亡くなってしまった。そこで孫娘の昌千代姫を代職とすることになり、一五八七年(天正十五)、昌千代か入峰して政所を居所と定めた。その後、座主職は一六〇一年(慶長六)まで空席となった。その間小倉城主、毛利勝信が欠男の正九郎を昌千代の婿養子として座主にしようと強請し、正九郎自ら門前に押しかけて成嚇した。昌千代は政所を逃れて隠れ、家康に訴え出てようやくこれに勝訴し、その上、守護不入、十方檀越の権利を回復した。 一六〇一年、小倉城に細川忠興が入り、忠興は日野大納言輝資の三男を養子として入峰 させ座主職を相続させた。十五世忠有である。中有は幕府の覚えもよく、家康、秀忠、家光とも会い、一六二三年(元和九)に有清に 座主を譲るまでの二十二年間、英彦山の復興に尽くした。とくに細川家、鍋島家等の篤い寄進を得て、大講堂をはじめとする坊舎を復興した。 池泉庭は、昌千代姫が政所坊に入ってから、 忠有の代までの間に作庭されたものと推測さ れる。池泉庭はニカ所にある。東側の山畔を利用して、自然の谷の滝をそのまま主景とした奥書院の庭と、南側の表書院の庭である。南庭は比較的小池泉であるが、正面に蓬莱的な量感のある石を立て左方に枯滝を組む。 護岸石組も張りがあって力強く、岩島も高くてカが龍っている。
| 名前 |
政所坊跡庭園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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こんなところに、庭園跡が!偶然に通っただけですが、結構立派です!