スポンサードリンク
スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
甲條神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
甲条(こうちょう)神社は境内の看板にもあるとおり弥生時代の遺跡としての面もあるが、中世は甲条城跡でもあった。嘉吉の乱を起こした赤松満祐の子、教康が文安年間(1444年頃)に築城した。 則国、祐国と続き、姓を広瀬と替えた。永禄5年(1562)筑紫惟門に攻められ落城した。 (福岡戦国武将物語(中)より)現在、甲条城址としての遺構は残っていない。 南側は今も水田で神社の境内まで比高5mくらいあり、 御神木のタブノキ?が祀られている。北側は住宅地となっている。小郡市の大板井城跡の看板によると大板井城が支城だったらしい。広い平野部に一段高くなっている地形も城という一面を物語っているかのようだ。