1500年の歴史を紡ぐ神社。
八坂若宮八幡神社の特徴
1500年前から続く由緒ある神社で、歴史に触れられます。
唐から帰朝した空海が祈願し、真言密教を広めた場所です。
真言密教の守護神として東寺に分祀された神社です。
由来書によれば、主祭神・応神天皇、脇祭神・武内宿禰、三筒男命と書かれています。本来仁徳天皇があってしかるべきだと思われますが不記載です。創建は、貴楽二年(507年)とあります。貴楽は九州王朝年号で、使われているのは、非常に珍しい。また古来この辺りは蚊田(賀汰)郷といわれ応神天皇由緒の地であり、北部九州豪族盟約の地でありました。平安時代僧空海が唐より帰国の折り当社に籠り真言の普及を祈願されます。その後真言祈祷社となり、真言密教の守護神として京都東寺に分祀されます。鎌倉時代には佐々木四郎高綱の寄進により栄えますが、室町期には戦乱により没収衰退します。江戸時代になると、久留米藩有馬家の氏社となり再興されます。
1500年前からあるらしい。
かなり古いようです。応仁天皇と看板にあった。
名前 |
八坂若宮八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0942-41-2059 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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唐から帰朝した空海が真言の普及をここで祈願した後、真言密教の守護神として東寺に分祀された由緒ある神社です。現在のご祭神は応神天皇、武内宿禰、三筒男です。応神天皇の皇統が絶え、御徳を偲び創建と由緒書にありますが、日本書紀に継体天皇は応神天皇の五世孫とあり、皇統は絶えてはいないようです。社殿を見ると、神紋は右三巴紋で、龍や波、鳥の彫刻があるので、大幡主、豊玉彦が祀られていたことがわかります。古代、この辺りは有明海が入り込む海人族の拠点で、奴国の大幡主や若き豊玉彦が活躍していたことでしょう。彼らが熊野や京都に拠点を移した後、三筒男が活躍し、中世藤原氏の隆盛に伴い応神天皇がご祭神に上書きされたようです。諏訪明神再建記を見ると、諏訪大社に祀られる前の建御名方神もこの辺りにいたかもしれません。古代史のスター花盛りです。(大幡主は熊野速玉大神、豊玉彦は八咫烏、三筒男は安曇磯良、崇神天皇、高良玉垂命)