平安の歌人が息づく高瀬川の地。
源融河原院址の特徴
平安時代初期の歌人源融が有名な史跡です。
五条大橋の南、高瀬川のほとりに位置しています。
榎の大樹が目印のひっそりとした雰囲気です。
光源氏のモデルとされているトオルさん邸跡地五条大橋南すぐ高瀬川と賀茂川の間に位置し、榎の大樹が目印です。
源融(みなもとのとおる)は平安時代初期に在位した嵯峨天皇の皇子で、長きにわたり朝廷に仕え従一位・左大臣の官位を受けるなどし出世を果たした人物。嵯峨源氏(渡辺綱や肥前松浦氏)の祖としても知られ、ほかにも紫式部が宮中を舞台に様々な色恋を描いた長編小説『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルであるともいわれている。六条河原院(かわらのいん)は源融が賀茂川の西岸に造営した邸宅で、その敷地はたいへん広く4町あったとも8町あったともいわれる。奥州の塩竈の風景を模して作庭され、わざわざ海から海水を運ばせ塩造りを楽しんだという。源融の子・源昇の代に屋敷が宇多上皇に献上され、仙洞御所ともなった。京都の繁華街のある河原町通という名の由来になったともいわれている。
大津伊香立の融神社、大阪佳木山多融寺と比べると見過ごしそうな雰囲気でひっそりと石碑と大木で示されています。春先の少し暖かさと高瀬川の緩やかな流れにマッチしてました。もともとは、かなり広大な邸宅だったそうです。
京阪清水五条駅から徒歩4分、高瀬川に架かる橋のほとりに源融河原院跡の碑が建っています。そう言えば、昭和の時代には有名な五条楽園が有りましたよね。それは置いといて、源氏物語の主人公のモデルとされる源融の邸宅があった地、普段は余り人も見かけない場所ですが、結構写真を撮っている人が見えました。源融が亡き後は宇多天皇の御所となり、東六条院と呼ばれたそうです。五条通り西に建つ本覚寺、上徳寺、南は渉成園の一部迄、広いスペースを占めていたのが解ります。そう言えば、渉成園には供養塔や塩竈の手水鉢が有り、新京極の錦天満宮には源融を祀る塩竈神社も有ります。参考ですが、宇治源氏物語ミュージアムには六条院の復元模型が有り、夏の暑さ対策も考えた屋敷が有ります。ここには石碑と巨木、市比賣神社の御札を祀った祠しか見えませんが、すぐ隣りは鴨川、なんとなく六条院を想像する事が出来ますよ😊
京都市高瀬川五条にある河原院の跡地の石碑が立っている場所です。河原院(かわらのいん)は、京都六条にあった源融の邸宅です。源融(822~95)は嵯峨天皇皇子で、光源氏のモデルともされる人物です。源氏物語』の注釈書『河海抄』には、光源氏の邸宅「六条院」のモデルの一つが河原院だとある。また夕顔と一夜を明かした某院も河原院がモデルだという。現在の下京区木屋町通五条下ルに「河原院址」の石碑がある。一帯は河原院の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられた「籬の森」の跡で、石碑の隣にある老木の榎は森にあった木の最後の1本だというが、石碑の位置は河原院の推定地より少しだけ外にはみ出ている。
五条大橋の南、高瀬川沿いにあります。現在は、大きな気が立っており、案内板が立っています。源融は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも言われている人で、その邸宅は河原院と呼ばれて、「河原町」の名前の由来となったともいわれているそうです。源氏物語好きな人は、訪れてみるといいと思います。
| 名前 |
源融河原院址 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si031.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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