大船鉾の迫力、祇園祭で実感!
大船鉾保存会の特徴
大船鉾の迫力は他にない素晴らしさで感動します。
令和3年、見事な御朱印と厄除け粽がいただけました。
龍頭の完璧な保存状態に驚かされました。
後祭りの主役とも言える大船鉾。その大きさには圧倒されますね。
令和四年 いざ祇園祭へ 7月23日祇園祭大船鉾保存会後祭の鬮とらずとして殿をつとめ、前祭の船鉾が出陣船鉾と称されるのに対して凱旋船鉾といわれていた。500年余りの歴史を持ち、江戸時代の再三の大火に被災するもそのつど復興を繰り返してきたが、幕末の元治元年(1864)におこった「蛤御門の変」にて屋形・木組・車輪等を失い、それ以来巡行参加することはなかった。長い年月を経て平成9年にお囃子の復興、そして焼失を免れた神功皇后の御神像や舳に飾る大金幣、また織物・刺繍の高度な技術を駆使して製作された大舵や水引・前懸・後懸等をお飾りしての「居祭」の再開で復活への機運が盛り上がり平成24年から唐櫃巡行を、そして平成26年四条町の皆様の熱意と多くの方々のご協力のおかげで150年ぶりに巡行参加することが出来た。この年より祇園祭も前祭・後祭の巡行が17日・24日と49年ぶりに分離巡行となった。後祭10基の山鉾の殿として、まだまだ未完の状態ではあるが堂々と朝日を受けて巡行する事ができた。今後は屋形の塗装・失われた人形の復元・また江戸期には現存する大金幣と隔年交代で舳を飾っていた龍頭の復原と焼失以前の優雅で豪華な姿になることを目指している。ŌFUNE HOKO performed the role of the final position in the procession of the last festival, exempted from the lottery, called Gaisen Funehoko‐returning in triumph, while FUNE HOKO in the first festival called Shutsujin Funehoko‐going into battle. The float has its origin more than 500 years ago. It has been absent from the procession since losing its house frame, wooden structure, wheels and so forth in the Hamaguri Gomon Incident in 1864, although it had been revived several times against suffering from the big fires through the Edo period. passing many years, in 1997, hayashi - the float orchestra revived and Ōfune Hoko resumed as “Imatsuri”, not joining the procession, displaying with the figure of Empress Jingū which had escaped from the fire, the big gold strips decorating at the bow, and the great steering wheel, mizuhiki, maekake, ushirokake and others produced by using high technique of fabric and embroidery. brought a great opportunity for revival. In 2012 Ōfune Hoko “Karabitsu” style procession began, and finally in 2014, with the enthusiasm of Shijo-cho residents and the support of many people, it joined the procession after 150 years’ absence.
朝鮮半島の新羅との戦争に勝利した神功皇后が、船に乗って帰還した様子を描いた鉾。山鉾巡行では、後祭の最後尾を進みます。1863年の禁門の変の後に起きた大火で焼失しましたが、2014年に復活しました。「大」船鉾ですが、前祭の船鉾より小さな鉾です。また前祭の船鉾は胴掛けが横じまで最後尾の舵が黒漆塗りですが、この大船鉾は胴掛けが縦じまで最後尾の舵が赤漆塗りです。また舳先の部分が龍頭と紙垂の2種類ありますが、2024年は龍頭を付けて巡行されます。ちなみにこの龍頭の舳先は、九山新太郎の子孫によって製作されました。九山新太郎は江戸時代末期の彫刻家で、東山区の瀧尾神社拝殿を飾る龍の彫刻を掘った方です。さらに大船鉾の南側にもテントが立って、そちらで大船鉾とコラボした地元企業のブースが入っています。和菓子や日本酒などの大船鉾オリジナル商品が売られています。
巡行後の鉾解体作業。梃子で車輪外し⇒枠外し+足場組み立てから龍解体作業。
完璧に保存されいて、手入れも行き届いているようでした。素晴らしいです。
非常に立派な龍頭です。前祭期間に大丸ショーウインドーで連日目にしていましたが、鉾についた様は迫力が一入でした。御朱印も山鉾では稀有な直書きで有難いです。保存会の方々が温かいです。
祇園祭一色デスヨ~(笑)
2021年宵山は鉾に上げてくれました。
大船鉾の迫力は他にないなぁ。
名前 |
大船鉾保存会 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-361-8130 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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大船鉾別室局の朝鮮出来伝説にちなみ、鉾全体で船型をかたどり、後祭りの最欲を飾る鉾である。屋形中央部に神功皇后、屋形前都に副特生吉野様、遊部に操地手鹿島明神、細先に龍神安感強良の神を安置する。抽先の飾り物として文化十年(一八ーミ)製の大金と、文化元年(一八〇四)製の龍頭を隔年使用していたが、一限の変」の大火(一八六四)により龍頭を焼失大金幣のみ現存する。古来、四条町は南北に分かれており、女代でこの鉢を出していた。龍頭は北四条町、ていたが、明治に入り南北が統合され現在に至る。放載・後感は知地雲龍育海文織で一七世紀末~一八世能の作、他に文化文政年間(一八〇四~一八二九)にられた天然別・下別・文様などを所蔵する。幕に使われている羅然は一六世紀ポルトガル製であると伝わる。尚、この鉾は「蛤御門の変」の大火にて懸装品類を除き全てを焼失、以来一五〇年間休みとなっていたが、平成二六年に復興を遂げた。京都市。