五条大橋で伝説の出会いを。
五条大橋の特徴
五条大橋は弁慶と牛若丸の出会いの伝説が息づく場所です。
源義経と武蔵坊弁慶の戦いがあったとされる歴史深い橋です。
平安時代初期の扇の言い伝えも残る、多彩な歴史を持つ魅力的なスポットです。
五条大橋は、五条通の鴨川に架けられた橋です。平安時代末に牛若丸(源義経)と弁慶が出会ったという伝説で知られる橋です。現在の「五条通」は当時の「六条坊門小路」に当たり、平安時代の五条通(五条大路)は、清水寺から清水坂を下り鴨川を渡って松原通へとつながる道だった。したがって、牛若丸と弁慶が出会ったのは現在の「松原橋」ということになる。鴨川に架かる松原橋は、かつては五条橋と呼ばれていたが、豊臣秀吉が方広寺の大仏参詣の便をよくするため五条橋を南へ移したのだという。天正18年(1590年)に豊臣秀吉により方広寺大仏殿への参詣道として六条坊門小路に架けた公儀橋を五条橋と称し、通りの名も五条通と変更した。これが、豊臣秀吉が造らせた橋脚(石柱)で、五条児童公園にある「天正拾七年」等の文字が読み取れます。西暦1589年ですね。「五月吉日」と続いています。アクセスは、京阪電車「清水五条」下車西へ100メートル。
ここが弁慶と牛若丸の出会った場所………だと思ったら他の方の説明で分かったのですが、もう一本上にある橋だったそうですね。牛若丸と弁慶のモニュメントもあるしせっかくなので写メ撮ってしまいました。
牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が出会ったという伝説で有名な橋です。しかし、実際に彼らが会ったのは松原橋なので、是非セットで訪問しましょう。
弁慶と牛若丸(源義経)が戦ったとされる橋です。実際はここより南にあった橋が豊臣秀吉がこちらに移転させたらしいです。とにかく歴史があります。
この橋には、おなじみの義経と弁慶の言い伝えのほかにも、扇が平安時代の初期にこの周辺の地域で初めて作られたという言い伝えがあるそうです。この橋の西詰の北側に「扇塚の記」があり、扇は平安時代の初期この地に初めて作られたものである。ここ五條大橋の畔は時宗御影堂の遺跡であり、平敦盛没後その室 本寺祐寛上人によって得度し蓮華院尼と称し寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられている。この由緒により扇工この地に集まり永く扇の名産地として広く海外にまでも喧伝されるに至った。いまこの由来を記してこれを顕彰する。と書かれている。
| 名前 |
五条大橋 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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京都の五条大橋での弁慶と牛若丸『源義経』の出会いは伝説として知られています。五条大橋と弁慶・牛若丸の伝説の概要⦿五条大橋五条大橋はかつて京都の五条通にかけられていた橋で、現在の場所は少し異なります。五条大橋での出会いは彼の若き日のエピソードとして語り継がれています。⦿伝説の内容弁慶は五条大橋で通行人から太刀を奪うことを繰り返していました。999本の太刀を奪ったところで、笛を吹きながら現れた牛若丸に軽快な動きで敗れ、家臣になります。⦿伝説の始まりこの伝説は室町時代以降の物語や歌舞伎など脚色され、広く知られるようになりました。特に江戸時代には、絵画や歌舞伎で人気を博し、広く親しまれるようになりました。五条大橋での弁慶と牛若丸の出会いは、多くの人々に愛され、様々な形で語り継がれています。