三国ヶ丘の古墳、歴史を散歩!
横隈山古墳の特徴
五世紀初頭に築造された、壮大な30m超の前方後円墳です。
西鉄の東側に位置する貴重な史跡で、地域の歴史を感じられます。
近隣の住宅地に残る古墳で、散策にぴったりのスポットです。
自然に恵まれ景色が良く散歩するのに良いから。
三国ヶ丘団地の住宅地の中にある古墳です。5世紀の中頃に造られた前方後円墳の古墳で全長31.6m の規模です。前方部は狭く短く、墳丘上で多くの埴輪片が見つかっています。この辺りの地方豪族古墳と見られます。
古墳時代中期の前方後円墳です。住宅地のなかで、ここだけ高台になってます。見晴らしが良いです。駐車場はありません。
特に何もない。
西鉄の東側住宅地に残る古墳です。この辺りは古墳が沢山あり、近くに有力者がいたようです。
五世紀初頭に築造された30m超の前方後円墳である。主体部は恐らく竪穴式石槨と思われるが抜かれているため確認は出来ない。説明によれば帆立貝式とある。説明を読めば読むほど古い時代からこの地が栄えたことが判る。魏志倭人伝に記されている国の一つと言っても過言ではなかろう。思い込みかな。そうそう、階段を上がった真正面に櫨があるから気を付けるように。下手して触ろうものならカブレるぞ。あまり近くにも寄らないようにね。我輩は一度カブレたことがあって大変だったからな。以前訪れたことがあるがその時は全くもっての地肌しかなくこんなにも鬱蒼としたのかと驚いている。地肌だけの方がよく判るのは当たり前だからな。その時の写真は「横隈山遺跡公園」にアップしているので比較してもらいたい。
名前 |
横隈山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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綺麗に整備された階段を登ると有ります。高台なので景色も良いです。周辺の子ども達の遊び場になっているようです。以下引用させて頂きました。横隈山古墳(市指定史跡)横隈山古墳は、昭和48年のみくにの東団地造成の際に発見され、九州で最も早い段階の市民による遺跡保存運動で現在に残された古墳です。当時は高度経済成長期で、開発が重視されていた時代でしたが、市民や学生など多くの人々の努力により保存されたこの古墳は、その後の九州のみならず全国的な遺跡保存運動のシンボルとなりました。古墳の内容については平成24年から25年にかけて確認調査を行い、全長31.6㍍の前方部が狭く短い前方後円墳であることが分かりました。主体部は盗掘により原状を留めていなかったものの、古墳の規模や時期から、本来は石棺系石室や竪穴系横口式石室であった可能性が考えられています。築造時期は、墳形や出土遺物より5世紀中頃と考えられます。これまで、墳丘上での表採及び確認調査で多くの埴輪片が見つかっています。種類は、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪、蓋形埴輪です。円筒埴輪は、後円部墳頂付近で埴輪列として円形に巡ることを確認しています。表採資料の家形埴輪は、古墳から西約400㍍に位置する三沢蓬ヶ浦遺跡で発見された埴輪窯で出土した埴輪片とよく似ていることから、5世紀中頃の古墳と埴輪窯との関係がうかがえる資料として評価されています。古墳時代初頭の津古古墳群に始まる小郡地域の首長墓系譜の最後に位置付けられる古墳として高く評価され、現在、横隈山古墳公園として整備・保存されています。今後も地域に親しまれる古墳として守り継がれることを願います。住所福岡県小郡市三国が丘7丁目駐車場なし※近隣住民の方のご迷惑となりますので路上駐車はご遠慮ください。