松平忠吉ゆかりの神社、病平癒の祈願。
徳川忠吉公平癒松の特徴
徳川義直の異母兄が祈願した松が象徴的です。
歴史を感じる石柱が立つ神社の雰囲気。
戸部城址碑の近くに位置し、歴史愛好者必見です。
考えてみればこの尾張の殿様って尾張徳川家の前は松平忠吉やってんなーこの人って二代将軍徳川秀忠の同母弟にして徳川四天王井伊直政の娘婿でもあるたいへん毛並みの良い人物で人格も素晴らしかったらしい武将としても優秀で舅とともに常に徳川の先軍を務めてたんやとだけどこんな人に限って病気がちやってんなーそれにしても…石碑には徳川忠吉とあるけど松平忠吉って徳川を称したことってあるんやろか?ここ尾張の殿様やった頃は東条松平家を継いで松平姓のはずやし…この石碑を建てた人たちの総意でそうなったんかも知れんな。
戸部城址碑を訪ねた神社。徳川家康の四男清州藩主松平忠吉が病気癒平の祈願し、無事回復して、社殿を造営した神社。隣接している長楽寺の鎮守社の清水稲荷社が鎮座している、境内に松平忠吉の平癒松が植えられ石碑が建てられている。石碑には「徳川忠吉公平癒松」となっている??後から建てられた石碑?誤りは訂正した方が良いのでは!
徳川義直の異母兄松平忠吉が病平癒を祈願したという松があり、石柱が建っています。
| 名前 |
徳川忠吉公平癒松 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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富部神社創建のきっかけ2023年1月上旬に行きました。長楽寺の境内にあります。徳川忠吉は徳川家康の四男で2代将軍の秀忠の同母弟正しい器量を備えた美男子で人望も厚かったそうですが1607年に28才の若さで病死→亡くなる4年前(1603年)に忠吉が長楽寺で病気の平癒祈願をしたのち、(一時的に)回復されたそうで、それにちなんでの松かなと→隣の富部神社はお礼として1606年に創建今回の訪問をきっかけに大変勉強になりました。