大磯の古き良き別荘空間。
旧陸奥宗光別邸・旧古河虎之助別邸の特徴
古き良き時代の建物が残る場所で、閑静な環境が魅力です。
美しいお庭が堪能できる庭園は、期間限定で無料公開中です。
旧陸奥宗光邸の聴漁荘では、特異な造りや設備に驚きがあります。
神奈川県大磯町。明治記念大磯邸園にある陸奥宗光の旧邸です。陸奥宗光の生涯は割愛するとして、彼は1894年に大磯のこの地に別荘を構えました。陸奥は1896年、病気を理由に外務大臣を辞し、翌年に亡くなりました。次男の潤吉が古河財閥の創始者・古河市兵衛の養子になったことで、この屋敷は古河家に譲渡されました。古河市兵衛の子で潤吉の養子となった虎之介が後を継ぎ、関東大震災で大部分が損壊する悲劇を乗り越え、数寄屋造りの建物に建て替えられました。この家は「聴魚荘」と名付けられた古河家の“海の家”、いわば別邸の付属施設のようなもので、古河家別邸は彼らが銅山を営む栃木県の足尾に移築され、社員向けの施設に利用されています。古河電工はこの建物を東邸、隣の建物(旧大隈重信別邸)を西邸とし、自社の迎賓館として利用していました。個人ではなく会社の所有になったのは戦後の財閥解体による財産の処分を逃れるためだったそうです。古河電工が今に至るまでこのような貴重な建物を守り続けた事に敬意を示したいですね。
明治の政治家で、神奈川県知事も務めた陸奥宗光(1844-1897)の別荘です。1896年に竣工した建物は関東大震災で大きな損傷を受けたため、1930年に建て替えられました。戦後も古河電工所有として使われ、激しく老朽化しましたが、2017年閣議決定された公園整備の一環で修繕され、2024年秋から公開されています。
陸奥別邸は、陸奥宗光が1896年に病気療養のため建築した邸宅でした。現在の邸宅は、古河家3代目当主古河虎之助により 1930年に建築された数寄屋風の海浜別荘建築が残されています。
古を思い出せてくれる趣ある陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸。第二次伊藤内閣の外務大臣であった陸奥宗光が、明治時代に結核の療養生活をしたところ。中には入れませんが、別邸の庭から中を覗くことができます。何とも趣のある家でした。こんな家に住んでみたい!そう思えました。
古き良き時代の建物って、残ってるんですねー。日本が欧米列強と競っていた時代の緊張感が伝わって来るような気がします。
GW中に訪れましたが閑静でとても落ち着きました。
美しいお庭を堪能できます。
大磯はここ以外にも島崎藤村、大隈重信、等の別荘などが点在している。
2020年11月3日から大隈重信旧邸跡の庭園と共に無料で庭園が一般公開されました。
| 名前 |
旧陸奥宗光別邸・旧古河虎之助別邸 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ゆっくりできるステキな空間。