江戸時代の趣を感じる安西家。
旧安西家住宅の特徴
江戸時代中期の移築復元された家屋で歴史を感じる場所です。
上総地方で最も大形の民家として貴重な体験ができます。
地元のボランティアによる無料解説が魅力的です。
俺の名前はマイケル・ウェスティン鯉のぼりを見に太田山公園は安西家住宅に来た。16時までゆえに鯉のぼりを見ることはできなかったが、安西さんの家を拝見した。茅葺き屋根の古民家。5月人形がいい感じ。
道の看板があったのでその通り行きましたが、途中あっているのか不安になる感じの道です。近くなって来て焚き火の臭いがして来たので、ちょっと安心。日曜日の10:00過ぎで伺いました。中には数人の係の方がいました。中で釜戸を炊いていました。家の中はとても広く、上がって見学もさせてくれます。係の人が色々と説明してくれます。今日はこれから味噌を作ると言っていました。外から見る藁葺き屋根はとても立派です!料金はかからないで見学出来ます。
太田山公園にある安西家住宅。鎌倉幕府草創期に活躍した安西景益の子孫のお宅で江戸期の建物だそうだ。元は作業する土間の建屋と居住する建屋の2棟だったものを一棟に改築したものらしい。元の場所から移築したものらしいがこの地域の建築として、貴重な建物に違いない。江戸時代の村役人の住居として、役人接待用の座敷があったり、下男部屋、嫁入り道具を入れた立派な行李など見どころが多い。納戸敷居下の空間の存在など不思議なところもある。移動する仏壇も面白い。元の場所の風景や配置などが分かればもっと想像の幅が広がるかもしれない。
木更津駅から徒歩15分🚶♀️太田山公園内にある、江戸時代中期に建てられたとされる茅葺き屋根の大形民家。木更津市指定文化財第20号。元々は木更津市草敷にあった住宅が寄付され、移築復元されたそうです。雨の日以外の午前中は燻されているので、煙たいけど懐かしいような独特の雰囲気を味わえます。個人的には好きな香り。安西家の先祖は源頼朝の家来だったと伝えられています。大河ドラマの「鎌倉殿の13人」を観ているので、ワクワクしました。住宅に入る時は検温、消毒、記帳。ボランティアの方が出迎えてくださり、住宅の説明を分かりやすくしてくださいます。釘を使わない建築方法なので、きれいに痛く復元できたのだなぁーと、しみじみ。玄関も面白かったです。教育・文化的活動の会場として有料で使用することも可能。9:00-17:00年末年始と毎週月曜日休館。
移築復元された江戸時代の家屋。焚き火をしていた。
藁葺き屋根は趣きがありますが、管理や保存が大変でしような。
地元のボランティアの方が無料で解説してくれました。
旧安西家住宅は、江戸時代中期(18世紀初め)に建てられたと推定される、上総地方で最も大形の民家です。安西家の祖先は鎌倉幕府を開いた源頼朝の家来で、草敷の地に土着したと伝えられ、江戸時代には組頭を代々勤めていました。建物の構造は、桁行(間口)13間、梁間(奥行)5間の平入りで寄棟造りの茅葺きです。向かって右が居室部で、左手の土間は後世の改築になり、桁行6.5間が母屋の棟を延長した「直家型」に改造されています。居室部と土間との建築時期に70~80年ぐらいのへだたりがあり、19世紀に入ってから改造されたもので、建築された当初は、上総・安房地方に多い母屋と土間の棟を別にした「分棟型」の構造であったと推定されています。間取りは、向かって右を床上部(居室部分)、左を土間とする平面構成です。座敷は手前から4畳大の「げんかん」、8畳の「なかのま」、床の間付き6畳の「おくのま」の三室を配列する。中央の前部には24畳大の「ひろま」、その後部には向かって右から仏間、8畳大の「なんど」二部屋を並べ、その下手に6畳大の「ものおき」を設けています。土間は「ひろま」への上がり口に一間の縁、その前寄りに半間の小縁を付け、南西隅に6畳大の下男部屋を設けています。正面と座敷側の軒を「せがい造り」にしています。一方、小屋組みは扠首組みとし、梁の二重構架法も当地方の形式を踏襲しており、見逃すことはできません。座敷や「なんど」に中敷居をはめるほか、正面の格子窓の構えや、雨戸を取り入れていない構造など、江戸時代後期の建築様式へ移行する過渡的な構造を残しており、上総地方における建築史を知る上で、貴重な資料と言えます。
| 名前 |
旧安西家住宅 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0438-23-0011 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
地元の方がお作りになられた土偶などが無料で配布されています。私もありがたく2体、頂きました。