歴史を感じる神聖な空間。
椿八幡宮の特徴
897年創建、宇多天皇の勅命により由緒ある神社です。
神功皇后に関する伝承が残る重要な神社の一つです。
静かな環境で独特な雰囲気が漂う神聖な場所です。
椿・秋松・弁分・小正(おばさ)・若菜・楽市・安恒・高松(太郎丸の内)・堀池の九村の産土神である。祭神は八幡大神(応神天皇)・神功皇后・武内宿禰である。神功皇后が大分で軍勢を解散して都に帰る途中、この地に立ち寄られたとき、村人は樫木で作った皇后の劔の鍔を献上したのでツバキ(鍔木→椿)の名がついたといわれる。「宇佐大鏡」に孝謙天皇天平勝宝3年(751)筑紫水沼君後秀村安芸太夫を代官として居らせたとある。以後大友氏の焼き討ちなど風雪はあるが、神主秀村家は現在に至っている。少し離れた境内に、秀村家先祖を祀る安芸殿神社もある。境内社に産守神社がある。近隣に知られる安産の神で、4月11日に安産祈願の女性だけでなく、農作物の豊作を祈願しておこもりをしている。
飯塚市にある小さなお社です。筥崎宮の元宮として知られる大分八幡宮の割と近くにあります。祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰です。創建は古く寛平9年(897年)、宇多天皇の勅命により造営されたと伝わります。境内の由緒には上記書かれているのですが、帰宅して色々調べてみると、創始はもっと古く天平勝宝3年(751年)に宇佐八幡から筑紫水沼の君の後裔「秀村安芸大夫長晴」を神官兼代官として迎え、神霊を宇佐八幡から勧請したのが始まりとも言われています。その後、秀村氏の末裔が代々祭祀を司り、現在の宮司も秀村氏の後裔との事。神功皇后が三韓征伐からの帰途、この地に立ち寄られた際、堅い木で作った剣の鍔を奉納し日本の平和と繁栄を祈願された地とされています。これが「椿」と言う社号の由来とされています。古くは穂波新宮とも呼ばれたそうで、最盛期には穂波郡全村を管轄していたと伝わります。戦国時代にこの付近は秋月氏と大友氏との主戦場になり社殿も戦乱に巻き込まれ焼失。その後幾度かの再建、再興を繰り返し今に至るという事ですが、それ以上の詳しい事は解りません。拝殿は入母屋唐破風の向拝を持っています。本殿は一間社流造となっています。拝殿迄は石畳が敷かれており、土ではありますが草も取り除かれ綺麗に保たれています。地域の方々に慕われているのでしょうね。拝殿横には神馬の銅像があります。明るく開放的ないい雰囲気のお社です。社務所は無く無人です。駐車場はありません。
中にも絵が沢山奉納されていたけど「八幡宮」の扁額の書が一番すごい。
897年、宇多天皇の勅命により創建されたと言われる由緒ある神社⛩ 表通りから少し入るだけで空気が一変 神聖な雰囲気の神社。
道路沿いから、白く大きな鳥居が見え、どんな神社だろうと、気になってはいたが、ずっと行けずじまい、今回初めていったが、独特の雰囲気があり、歴史のあるじもと住民にとても大切にされている場所、木々と建物の神秘さに感動、帰る途中に数人の小学生にすれ違ったが、皆挨拶をしてくる、よても良い環境なんだろうと、思えた。
車通りのある道路から離れた場所にあるので静かで雰囲気は良い。御朱印は階段下の宮司さんのご自宅で頂けますが、書ける方がご不在の場合はスタンプになります。県道60号からアクセスする際は、巨大な鳥居のある道と注連柱がある道と両方から行けます。注連柱がある道は、時間帯によっては中学生の自転車集団が道いっぱいに広がっているので注意が必要です。椿公民館の南にある鳥居前も坂道を降りてきた自転車が飛び出してくるので注意。椿公民館下の駐車場が便利。10月に行われる獅子舞、夜神楽は必見です。
神功皇后が朝鮮出兵の折、堅い木で作った刀の鍔(つば)を奉納し、日本の平和と繁栄を祈願したという伝承が「つばき」の地名の由来といわれている。ちなみに、このすぐ近くにある弥勒堂は、耳の仏様として多くの参拝者が訪れるそうです。
御朱印は頂けますがスタンプです。
厳かで良かったです。
| 名前 |
椿八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0948-22-2299 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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美しく整えられた素晴らしい神社様です。平日でしたので駐車場が閉鎖されておりました、県道から住宅街を奥に入った場所ですので道も狭く戸惑いました。平日参拝です。