歴史感じる高野山の供養塔。
法然上人 圓光大師 墓所の特徴
法然上人(圓光大師)供養塔が佇む奥深い歴史感が魅力的です。
他宗派の開祖も祀られ、多様性に富んだ懐の深さを実感できます。
高野山の静かな環境の中で心を落ち着けられる場所です。
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歴史を感じます。
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親鸞同様、他宗派の開祖も祀られているところに懐の深さを感じる。
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| 名前 |
法然上人 圓光大師 墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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法然上人(圓光大師)供養塔は、和歌山県高野山奥の院の32町石西にある。浄土宗の開祖、法然(1133-1212)は、美作国久米(現、岡山県久米郡)の出身で、15歳から比叡山へ入り、出家修行生活を送った。法然房源空と名乗り、43歳で「専修念仏(南無阿弥陀仏と唱えると極楽往生できる)」を広めようと、比叡山から出て京都の吉水を布教活動の拠点とした。水原堯榮氏の「高野山金石図説」及び愛甲昇寛氏の「高野山の石塔美術」によると、砂岩製の五輪塔は総高177cmで、地輪正面には、梵字と「源空」の文字が刻され、背面には「為四恩法界平等利益也 正和四年乙卯十月十日(四)」と刻されている。年号の「正和四年(1315)」は、高野春秋編年輯録に記されている法然上人遷化の年である「建暦元年(1211)」と整合しないため、削り取られた痕跡があるという。また、紀伊続風土記によると、「古老伝に碑上の梵書幷源空の二字は法然の直筆なり」という。