標高440mの城跡探訪。
知久平城跡の特徴
標高440mの段丘に位置する城跡で、眺望が素晴らしいです。
斉藤農園裏にある本丸跡で、歴史的な価値があります。
歴史ファン必見の知久平城跡は散策に最適です。
鎌倉時代に地頭として伊那郡阿島(現・喬木村阿島)に居館を構えた知久氏の居城。後の室町時代中期に更なる要害を求め、神之峰城(現・飯田市上久堅)を新築して拠点を移した。1554年に武田家の攻撃を受けて神之峰城が落城すると、天正壬午の乱後に徳川氏家臣・菅沼定利の居城となる。1590年、徳川家康の関東移封に従い菅沼氏も上野国に移り廃城となった。縄張は長靴のような形をしているが、跡地は住宅街や小学校などに利用され、当時の面影を残すものはあまり残っていない。
標高440m、段丘の城跡。南北450m、東西220mと広ーーい。なのでお散歩がてらに散策できる♪説明板が3ヶ所にあった。公民館に令和製、保育園横に平成製、農園駐車場にタブン昭和製(^-^;住宅と畑の中に土塁や堀跡が残ってて昔の城郭を実感できる♪ヾ(´︶`♡)ノ主郭はリンゴ畑だったりする..(^-^;ちっこい案内標柱があるので、わかりやすく散策できたよん♪( ´∀`)人(´∀` )♪
斉藤農園裏に本丸跡があります。城跡からの眺めは素晴らしいです。空堀などの遺構も僅かですが残っています。
| 名前 |
知久平城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.iida-museum.org/kouko/remains/yamashiro/1-15.html |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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知久平城文化財指定:市指定史跡遺構:土塁,郭,堀,井戸城主:知久氏,菅沼氏歴史:築城年代は定かではないが鎌倉時代に知久氏によって築かれたと云われる。 知久氏は諏訪大社大祝神氏の支流で上伊那郡箕輪上の平より地頭として知久平に城を築いたのが始まりとされる。室町時代に神之峰城を築いて居城を移し、知久平城はその出城となった。天文23年(1554年)知久氏は武田氏によって滅ぼされたが、江戸時代には旗本として阿島陣屋を構えて再興している。天正10年(1582年)武田氏が織田氏に滅ぼされると、徳川家康の家臣で三河国田峯城主菅沼氏の一族、菅沼小大膳定利の居城となった。天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に従い菅沼氏も上野国に移り廃城となった。説明:知久平城は天竜川東岸の河岸段丘の西端に築かれている。縄張は北から南へ出丸・本丸・二の丸・三の丸と続き南端には馬出があったという。現在は宅地や畑となっており、出丸部分とその近くにある殿様井戸、本丸と二の丸の間の空堀、三の丸の土塁などわずかな遺構を残すのみとなっている。城の案内板は下久堅保育園の東側の道路沿いと下久堅小学校の南端の東側にある下久堅自治振興センターの所にそれぞれ別のものが設置されている。