桂太郎の墓、松陰神社隣接。
桂太郎墓所の特徴
吉田松陰を敬う桂太郎の墓所、歴史的な場所です。
長州藩士で政治家の桂太郎のお墓が広がる静かな公園です。
若林公園内に位置し、訪れる価値のある名所となっています。
桂太郎、司馬遼太郎の「坂の上の雲」などから人柄が分かります。吉田松陰が亡くなったときにはまだ13歳だったからか、謦咳には接していないでしょうが、郷土の偉人であり、諸先輩方を通じて薫陶を受けていたからこそ、松陰神社の近くに墓地が設けられたみたいですね。
本人の「平素崇拝する松陰神社隣接地に葬るべし」という遺言でこの地にお墓があるとのことでした。年齢的には、松下村塾の門下生ではないと思い調べてみると、年齢的には、吉田松陰先生が刑死された時、桂太郎はまだ13歳で松下村塾では学んでいませんでした。とは云え、繋がりはない訳ではなく、松陰先生の亡き後、松下村塾を監督・指揮をしたと云われる中谷正亮がその叔父にあたり、その縁で松陰先生を尊敬されていたと分かりました。叔父さんの中谷正亮は、松陰先生の墓所に改葬されていますので、せめて「隣接地」に。。。という表現した気持ちも伝わってきました。
日米鉄道しか、結局は無かったとつくづく悟ります‥(;_;)
吉田松陰を敬拝していた桂太郎にとって、松陰神社横に眠る事は本望だったんだろう。
若林公園の中に鎮座されています。お隣の松陰神社で松陰先生にお参りした後にこちらへお参りしています。いつもありがとうございます。
長州藩士で陸軍軍人で政治家の桂太郎(かつら たろう 1848年~1913年)さんのお墓です。台湾総督・陸軍大臣・内務大臣・文部大臣・大蔵大臣・内大臣・外務大臣を歴任し、第11代・13代・15代の内閣総理大臣を務めました。「ニコポン宰相」の愛称で知られていました。総理大臣として日英同盟を締結し、日露戦争開戦を決定し勝利に導き、韓国併合も行いました。吉田松陰を敬愛し「平素崇拝する松陰神社隣接地に葬るべし」との遺言により此処に葬られたそうです。
桂太郎内閣総理大臣墓所。若林公園、世田谷松陰神社西側。世田谷区指定史跡。
| 名前 |
桂太郎墓所 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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桂小五郎かと思ったら桂太郎の墓で、えーっと誰だっけ?と思っていたら第11代、13代、15代の内閣総理大臣とのこと。