前方後円墳に参拝できる場所。
若宮神社の特徴
若宮神社の東側には前方後円墳型の地形があり、歴史を感じる場所です。
新生代第四紀の堆積岩上に位置し、標高約14mの微高地にあります。
参拝できたことに感謝し、訪れる人々に深い精神的な体験を提供します。
小学校のグランドのほうから入らせてもらいました。愛宕神社の扁額…若宮神社は比較的新しいのかと思いましたが、菊花紋や藤棚がありました。
新生代第四紀に形成された海岸砂丘堆積物による堆積岩上の標高約14mほどの微高地に神社は位置します。古くは内浦(うつら)は、鶉村(うずらむら)と呼ばれ、内浦浜=鶉浜といった海岸にほど近い土地でした。主祭神の若宮は一般的には「皇族の子」という意味ですが、特に九州北部では仲哀天皇、神功皇后の皇子である応神天皇=誉田別尊のことを多く指します。応神天皇は、八幡信仰の八幡神、八幡大菩薩のことでもあります。拝殿屋根瓦に皇室の菊花紋章(十六葉八重表菊)が使用されています。明治時代の地形図を参照しますと、当時のメイン道路が東側アスファルト道路から小学校グラウンドの二本の大楠の箇所を通り、西側の里道を通り波津方面に繋がっていたことが分かります。大楠は、鳥居のように神域との境界を示していたことが推測されます。拝殿、本殿から鳥居に向けた参道の方向は、南西に方位角で約195度ほど。近辺は内浦周辺から吉木あたりまで、ところどころ土地改良もされていますが律令時代の条里制(約109m間隔で方格に区分される古代の土地区画割)の田んぼが残っており、その方向を計測すると神社参道とほぼ一致します。なので神社の創建は、律令時代の飛鳥、奈良時代頃と推測します。当時から道と土地区画割は一体として作られていました。また参道の方向は、宗像大社の末社の一つでもあったので、その方向への遥拝という意味もうかがえます。時代は下り、明治7年(1874年)に内浦小学校が設立され現在のように神社と小学校が一体となります。校歌にも「神さぶ森の 浅緑 澄み渡りたる 樹影に」と美しい七五調の歌詞で歌われ、親しまれています。歴史の重みや神聖な領域を感じ、静かに参拝出来る素晴らしい神社です。
参拝できましたことを感謝いたしております。 内浦小学校のグランドと地続きに社がある。東側からの参拝がお薦め。
| 名前 |
若宮神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ここの東側、約20mのところに、前方後円墳型の地形がある。もしかして?!