丸山城跡とハイキング、歴史を満喫!
丸山城跡の特徴
伊賀衆と織田の壮絶な伊賀の乱が始まる地です。
丸山城跡は南側の景観がおすすめです。
歴史的遺構が残る広範囲な城跡です。
伊賀鉄道 丸山駅から近くにある程よいハイキングコース、伊賀市が誇る城の一つなので復元化を望む。
南の集落側から入るのが分かりやすいようです。前回は北側から比自岐川を渡るコースを選んで入り、主郭の位置がよく分かりませんでしたが今回発見しました。北の滝川三郎兵衛城と嵯峨尾主馬城を合わせると、かなり大きな規模になります。縄張図:「三重の山城ベスト50」等多数。
この辺りから伊賀衆と織田の壮絶な伊賀の乱が始まります。
北側よりも南側がおすすめです。北側は橋を渡る方です。
丸山駅から徒歩15分程と電車旅でもアクセス容易です。ただグーグルマップのルートでは辿り着けず、地元の案内板にある西南北3か所の入り口のうち北と西は途中ヤブ道で分からなくなり、私が本丸まで辿り着けたのは容易な南側ルートだけでした。wikipediaに「保存状態の良い山城」の記載があるものの、本丸含むかなりの部分がヤブに覆われていました。北畠具教の隠居城として築城されたものを織田信雄が領国化を狙い滝川雄利に命じて修築、驚き反発した伊賀衆が奇襲。天正伊賀の乱のキッカケとなったともいえる城ですね。「伊賀旧考」にある3層天守・石垣で出来た天守台・9回折れているという越登道は実感できませんでしたが、遠景からも分かる規模の大きさ、西側からのルートの急峻な7曲がり、南側ルートからの多数の曲輪や土塁など見所は多く楽しめました。比自山・柏原・伊賀上野の天正伊賀4城と併せてうかがいましょう。
城跡は広範囲にあり、天守台、曲輪、堀切、虎口など遺構もよく残ります。登城道も整備されています。
丸山城跡丸山城は伊賀盆地に造られた織豊系の山城で、織田信雄が築城を命じた頃に三層天守があったようですが、現在では石垣もなく石碑(写真①)があるのみです。標高213m(比高60m)山頂の主郭に方形の天守台(写真②)があり、ここに丸山城の石碑が建てられています。当初は石垣を築いていた様ですが伊賀鉄道の架設の際に持ち運ばれたようです。登城口は北と南の集落側にあります。10分程度で主郭まで来れますが夏は藪だらけになるので注意が必要です。【歴史】天正6年(1578年)織田信雄は伊勢国を掌握すると同年3月家臣滝川雄利に伊賀国丸山城の築城を命じたが、完成する前に伊賀国衆らによって攻められ落城。その後伊賀が制圧され(天正伊賀の乱)、信雄は再び丸山城を築かせたと考えられます。【アクセス】登り口は北側と南側にあります。周辺に駐車場はありません。#お城 #城 #城跡 #城巡り #城好き#城好きな人と繋がりたい#三重県 #三重県の城 #三重県の城跡#伊賀市 #丸山城 #丸山城跡。
| 名前 |
丸山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
丸山城近くの丸山集会所に駐車可能です。そこから約10分程度で本丸に到達できます。比高は約50m程度。丸山城は城域が広く伊賀地域で最大の城だと言われています。確かに丘陵全域に城域を展開しており無数の郭が確認できます。また周辺の丘陵にも支城や出城があるようです。しかし、ぼんやりとした縄張りでこれといった遺構もありません。本丸に天守台跡があり、そこには城跡碑がありますが、それと浅い堀切くらいです。かつては天守台や本丸は石垣造りだったそうですが、今は石垣は全く残っていません。全体的に整備されている箇所もありますが、多くの郭は自然に藪化しています。見どころらしい見どころはなくあまり印象に残らない城でした。周辺の支城にも行ってみましたが、整備されておらず登り口もわかりませんでした。草が茂っていたので直登する気にもなれず撤退しました。丸山城は北畠氏によって築かれ、北畠氏の養子となっていた織田信長の次男織田信雄によって改修されました。三層の天守を持つ石垣造りの城だったそうです。その後の天正伊賀の乱で使用されたようですが、廃城時期ははっきりしません。