関門海峡の金の弦岬へ。
旧俎礁標 / 旧金ノ弦岬灯台の特徴
日本遺産の関門海峡に位置し、歴史を感じる灯台です。
ブラントンが建築した灯台で、その文化的価値が高いです。
彦島の南端には『金の弦岬』があり、自然の景観も楽しめます。
日本遺産関門ノスタルジック海峡 No-38
この灯台は、日本の灯台の父と呼ばれたブラントンが建築したそうです。一目見ておきたいと思いましたが、お墓から灯台に行く道は立ち入り禁止となっていました。そこで関門都市霊園につながる道に見える海岸から岩を越えて見物することになりました。シンプルな作りですが、歴史を感じられます。灯台としての役割は終わっているそうですが、これからも関門海峡を見守って欲しいですね。
金の弦(きんのつる)彦島の南端、田の首には『カネガツル』という岬があるが、少し東よりの弟子待がわにも『金の弦岬』と呼ばれる岩山がある。むかし、この岩山に一本の桂の木が枝を伸ばしていた。春になれば紅色の花を咲かせたが、その実は不思議にも金色に輝いていた。浦びとは、この桂の木を、月からの贈り物に違いないと喜び、木の回りに、しめ縄を張ってお供え物を欠かさなかった。ところが、ある年の秋、この付近を襲った台風が、桂の木を根こそぎ抜いて海に流してしまった。浦びとたちは、嘆き悲しんだが、『わしらの信仰が足りなかったから』と、同じ場所に、もう一本の桂の木を植えて、以前にもまして、日夜おがんだ。あくる年の春、三日月がだんだん円くなりかけたある夜のことである。桂の苗木が金色に輝いているのを一人の浦びとが見つけて、みんなを呼び集めた。あの浜この村から多くの人びとが集まって来た時は、桂の苗木はぐんぐん大きく伸びはじめていた。あれよあれよと浦びとたちが驚きの声をあげている間に、桂は三日月のように半円を描きはじめ、やがて、スポンと音がして、根が抜けた。それから、そのままゆっくりと宙を舞い、浦びとたち一人一人の肩にそっとふれて、ゆっくりと空高く昇っていった。それからというもの、浦びとたちは三度び桂の木を植えないことを話し合い、岩山にしめ縄だけを張って『金の弓弦の岬』と呼び信仰をおこたらなかった。富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より。
ここは関門海峡日本遺産に認定されています。これは明治4年、関門海峡に西洋の技術で造られた国内初の立標で、大正9年に現在の位置(田の首)に移されました。明治時代、日本で多くの灯台を設計し「灯台の父」と言われたスコットランド人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるものです。現在は現役を退きひっそりと海を見守っています。ブラントン設計の灯台は下関市に3ヶ所あり、有名な「角島灯台」ブラントンが日本で最後に設計した灯台。(明治6年着工・明治9年初点灯)と六連島に「六連島灯台」が有ります。現在は判りませんが下関市に連絡すると下関南霊園からの入口の鍵を開けてもらえるかもしれません。干潮時には関門都市霊園側から砂浜を通り岩を登って行けますが、安全第一でお願いします。彦島太郎の四方山話より抜粋本人承諾済みです。
ここは関門海峡日本遺産に認定されています。これは明治4年、関門海峡に西洋の技術で造られた国内初の立標で、大正9年に現在の位置(田の首)に移されました。明治時代、日本で多くの灯台を設計し「灯台の父」と言われたスコットランド人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるものです。現在は現役を退きひっそりと海を見守っています。ブラントン設計の灯台は下関市に3ヶ所あり、有名な「角島灯台」ブラントンが日本で最後に設計した灯台。(明治6年着工・明治9年初点灯)と六連島に「六連島灯台」が有ります。現在は判りませんが下関市に連絡すると下関南霊園からの入口の鍵を開けてもらえるかもしれません。干潮時には関門都市霊園側から砂浜を通り岩を登って行けますが、安全第一でお願いします。彦島太郎の四方山話より抜粋本人承諾済みです。
金の弦(きんのつる) 彦島の南端、田の首には『カネガツル』という岬があるが、少し東よりの弟子待がわにも『金の弦岬』と呼ばれる岩山がある。 むかし、この岩山に一本の桂の木が枝を伸ばしていた。春になれば紅色の花を咲かせたが、その実は不思議にも金色に輝いていた。浦びとは、この桂の木を、月からの贈り物に違いないと喜び、木の回りに、しめ縄を張ってお供え物を欠かさなかった。ところが、ある年の秋、この付近を襲った台風が、桂の木を根こそぎ抜いて海に流してしまった。浦びとたちは、嘆き悲しんだが、『わしらの信仰が足りなかったから』と、同じ場所に、もう一本の桂の木を植えて、以前にもまして、日夜おがんだ。 あくる年の春、三日月がだんだん円くなりかけたある夜のことである。桂の苗木が金色に輝いているのを一人の浦びとが見つけて、みんなを呼び集めた。あの浜この村から多くの人びとが集まって来た時は、桂の苗木はぐんぐん大きく伸びはじめていた。あれよあれよと浦びとたちが驚きの声をあげている間に、桂は三日月のように半円を描きはじめ、やがて、スポンと音がして、根が抜けた。それから、そのままゆっくりと宙を舞い、浦びとたち一人一人の肩にそっとふれて、ゆっくりと空高く昇っていった。 それからというもの、浦びとたちは三度び桂の木を植えないことを話し合い、岩山にしめ縄だけを張って『金の弓弦の岬』と呼び信仰をおこたらなかった。富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より。
墓地を通り抜けて行きます。
なかなか近づきにくい場所なので、まだ近くから見てないのですが、対岸の門司から見えたので。
名前 |
旧俎礁標 / 旧金ノ弦岬灯台 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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思ったよりも小さい。