武田信玄公誕生の地、要害山城。
要害山城跡の特徴
武田信玄の生誕地として名を馳せる山城です。
曲輪の連続にお城好きが夢中になる魅力があります。
標高780mの要害山山頂には歴史を感じる石碑があります。
🏣山梨県甲府市上積翠寺町🅿️🚗…有りました。🚌…甲府駅から15分程乗り積翠寺下車徒歩15分程。※要害城又は積翠山城…と言われいるそうです。※建造時期1520年※遺構堀切.竪堀.石垣.虎口.土塁.井戸.土橋※2020年に築城※誕生信虎は1519年に躑躅が崎の地に館を築き本拠地とした。1520年緊急時に避難し立て籠る詰城として背後の円山に要害城を築く。1521年駿河勢が甲府盆地に攻め入った際には懐妊中夫人が要害城に避難し、後の武田信玄を出産。※反乱を起こした油川.小山田氏らを平定し家臣とした。武田氏館の周辺に住まわせ、さらに商職人を住まわせ、館を中心とした城下町、府中.甲府を開創。※要害城は山腹から主郭至る通路に沿って枡形虎口に伴う門と郭が複雑かつ連続して付設されている、竪堀や堀切りを要所に設け防御を固めている。平坦にならされた山頂の主郭は東西約73m、南北約22m土塁に囲まれて、庭園の跡をうかがせる大石も存在します。勝頼が新府城に移るまでの62年間、武田氏館跡と共に武田氏の領国支配の本拠地と成った城。今でも水をたたえた井戸(諏訪水)や武田不動尊の石像、東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生地」の石碑が有りました。※お山の全景を見ますと緩やかに見えますが…以外や坂道の連続でした...が、素晴らしい山城、東郷平八郎書の石碑は圧巻でした。又庭園で有ったろう大石探し…?※駐車場の向かいに簡易トイレが有ります(往復1時30分程)途中お手洗いは有りません。
要害山城は1520年に築かれたお城です。武田信虎公が本拠地を甲府に移した際に躑躅ヶ崎館を建設しましたが、もしもの際は防御の固い要害山城に籠もって戦うことを想定していたようです。実際に1521年に今川軍が甲斐南部に侵攻。信虎公は現在の身延町で迎え撃ちますが大敗し、甲府まで撤退します。その後今川軍が甲府盆地まで軍を進めてきたため、信虎公は臨月だった大井夫人を躑躅ヶ崎館から要害山城に避難させます。信虎公は少ない兵で再び今川軍を迎え撃ち見事勝利。この勝利の半年後に信玄公が要害山城にて誕生したそうです。そのように守りの固い山城なので、主郭部分まで登ろうとすると「登山」になります。都合により普通の運動靴で登山口と主郭を往復しました。登山道は綺麗に整備されていますが傾斜がきつめだったため、降りはつま先が痛かったです。また、乗り越えられない程ではありませんが倒木の箇所もあり、トレッキングシューズの方が無難だと思います。登山口近くに無料の駐車場があり、近くの積翠寺までバスも1日3便ながら出ています。気づく範囲では登山口近くにトイレはありませんでした。道中は堀切や土塁、門や郭などの跡が綺麗に残されているので、お城好きにはたまらない城跡だと思います。今回は史跡巡りだったため主郭までしか行きませんでしたが、写真を撮りつつ1時間弱ほどで登頂できました。途中で眺めの良い場所もありますが、主郭部分からの眺望は無しです。
続日本100名城巡りでクルマで訪問。駐車場までの道は広くて問題なし。山道は結構急で倒木もあります。30分位で本丸に到着。薮化しているところもありますが、遺構は見られます。
城跡とは言え、単純な山でした。続日本100名城、山梨100名山登山口から武田信玄公誕生地by東郷平八郎の石碑まで25分もかかりました。その前に10月だというのに30度の気温と武田神社からカンカン照りを35分歩いてきた(日中のバスの便は往復1本。)ので、そこまでで消耗してしまいました。帰りに登山口から6-7分積翠寺バス停11:54発のバスを使いました。まだまだ整備途上の山城跡という感じですね。案内などの整備はこれ以上しないのかもしれません。各地の山城をみてきましたが、ここは城跡というよりも単純なハイキングのための山(眺望もない)としか認識できません。因みに新府城も整備されてない、一部マニアのための迷城ですね。歴史上の英雄が存在した事実を誇りとしていないかのようです。
武田信玄の生誕の地で知られる城、武田氏の本拠であった躑躅が崎館の詰めの城として機能。登城口に駐車場有、山道に入るとすぐに石積に出合います。大手門跡を過ぎると郭、石畳、虎口の連続で本丸跡に繋がっています。この城を攻め込むのは不可能であることを実感させてくれます。
少し登ったところから曲輪の連続で,お城好きにはたまらない魅力があります。主郭には日露戦争で有名な東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生之地」の石碑があります。麓から約30分で主郭に到着しましたが,上りの連続と山道などでそれにふさわしい恰好が必要です。ちなみに,要害山城を見学してから2日間は両腿の筋肉痛に悩まされました。
続日本百名城の128番躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城。信玄が生まれた場所とされている。登山口から山頂(主郭部)までは健脚な大人で20分~30分程度で登れます。山城跡なので門跡などの跡地にそれっぽい石があったりはしますが大々的な石垣などはありません。名城スタンプは甲府駅のすぐそばの藤村記念館(旧睦沢学校校舎)にて押せますのでご注意ください。一応、登山口には駐車場っぽい場所は有ります。バス停は少し離れた所にありますが、1日1~2本なので往復で利用は望めません。
武田信虎が造り、その息子・武田信玄が生まれた城。武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)の詰城です。竪堀、門跡、虎口等の遺構がよく残ります。眺望はあまり良くありません。富士山についても間に山が入って全く見えません。大手と搦手で趣がまた違います。本郭で満足せず、少し歩いて搦手を見る事をおすすめします。当方30代前半で、往復で一時間半程度でした。9月末の訪問で蚊は居ませんでしたが、まあ虫除けスプレーは持っておいたほうが無難でしょう。縄張り図は持っておいて損はないですが、途中の不動像や井戸に寄る以外はほぼ一本道で、ほぼ迷わないと思います。なお紙の縄張図は藤村記念館で貰えます。
信玄公ご生誕の地。なんでこんな山中に?諸事情があったようです。軽い登山(ハイキング)なので装備はしっかりと。ナビに案内させると裏口まで連れてかれます。注意。
| 名前 |
要害山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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躑躅ヶ崎とセットで登城したい城跡です。武田氏縁の城跡で躑躅ヶ崎館の詰城として機能しました。今川勢の福島正成の甲斐国侵攻に遭った武田信虎は正室である大井の方を要害山へと避難させ、そこで生まれた嫡男こそが後の武田信玄です。縄張りは登城口でもある西側は枡形や多くの門で多数の曲輪を配置。徹底的な防御システムです。西側搦手はシンプルに堀切と竪堀で防御を固めてますが東側の門同様に石垣を多用しています。現在の遺構は勝頼による改修のものなのか、はたまた後に入城した加藤氏の物なのか不明ですが登城すれば「要害感」が味わえる城跡です。登山口には駐車場もあります。杖は登城口案内板下にありますが、スニーカーでは滑るかもしれないのでトレッキングシューズ推奨です。搦手から尾根を行き、分岐を右折して暫く歩くと熊城に行けますが痩せ尾根や高さのある堀切を下るので熊城へ行く際は滑落予防にトレッキングシューズを必ず履きましょう。