海に囲まれた櫛崎城の魅力。
櫛崎城跡の特徴
毛利秀元が整備した長府6万石の櫛崎城跡の石垣が綺麗に復元されている、
天守台の石垣は新しく、展望台からの海や公園の眺めが素晴らしい場所です、
子供の頃の遠足の思い出が蘇る静かな環境で、花見にも適した公園です、
素晴らしいロケーションで三方を海に囲まれた、要害堅固な城であったと想像できました^^復興してほしい史跡でした🍀
櫛崎城は、中世には大内氏の重臣で長門守護代の内藤隆春の居城であったと伝わっています。関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)長門国西端の豊浦郡を治めることになった長府藩初代藩主 毛利秀元が再築して居城としました。天守台には天守閣が築かれていたとされていますが資料が残っていないため詳しいことはわかりません。元和元年(1615年)徳川幕府の一国一城令により櫛崎城は破却されました。それにともない、藩主の居所と藩庁を現在の県立豊浦高校の敷地一帯に移して領国経営を行いました。廃城後も天守台は関見台と呼ばれ、幕末には砲台が築造され、海峡を航行する外国船の見張り場として攘夷に備えました。しかしながら、元治元年(1864年)下関戦争で真っ先に攻撃され、またたく間に破壊されました。
周防灘を一望出来る下関の隠れた観光スポットです。近くには日本一の初日の出が拝める神社海岸に降りると運が良ければスナメリに会えるかもしれません目標は沖合の海面にある浮き旗付近…
城自体は関見台公園にある。とは言っても遺構はほぼ残っていない。石垣が残っているくらい。海が見渡せる急峻な場所に作った意図を感じる。
石垣が綺麗な城跡です。展望台から対岸に停泊中の最新鋭のケーブル敷設船「KDDIケーブルインフィニティ号」が見れました。
本藩(長州藩)から長府6万石を分知された初代藩主 毛利秀元によって整備、改修された城です。遺構としては石垣の一部が残っており、豊功神社入口近くには櫓台跡らしき遺構(大手門二重櫓?)がありますが、櫓風の民家が上に建っていてちょっと紛らわしい感じです。本丸は天守台などの石垣が復元整備されていますが、見晴らしはそれほど良くはなく、むしろくじら(旧下関市立水族館の遺物)の方に目が行ってしまいます。
綺麗に復元された石垣があります❗世の中の景気が良ければ、ここにも模擬天守ができてたんだろうな⁉️
令和三年4/11に訪れた。天守閣を乗せる台から 眺める景色は360度パノラマ鯨🐋のオブジェ?の中には入れないけど 近くで見ると大きいゴミが散乱していたけど、レジ袋も何も持っていなかったのでスルーしてしまった 清掃はどんな間隔なんだろ?桜🌸も少し残っていて綺麗だった。駐車場は無料で公衆トイレもある。学校近くのせいか、結構停まっていた。
展望もよく気持ちのいい公園です。少し坂が続きますので足に自信のない方は難しいかもしれません。近くの高校生のトレーニングコースとなっているようです。すれ違った時にさわやかな挨拶が聞けます。
| 名前 |
櫛崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://chofukankou.com/%E6%AB%9B%E5%B4%8E%E5%9F%8E%E8%B7%A1/ |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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本丸付近の石垣がどの程度当時のままかが不明で、城跡としての趣きが薄い。クジラのオブジェは早々に撤去した方が良い。