僧清虚の火焚場、今も静けさ。
僧清虚 火焚場跡の特徴
僧清虚の偉業を体感できる、かつての火焚場跡の地です。
整備が行き届き、歴史を学びながら過ごせる貴重なスポットです。
美しい関門海峡の景色を楽しむ、船好きにぴったりの場所です。
暗礁の多い難所を亡くなるまで13年間、火を焚き続けて知らせた僧清虚の偉業がなされた場所。その後、村人に引き継がれ、さらに部埼灯台が建設されました。いまは広場になっていて、清虚と同じ景色を臨むことができます。
僧清虚は天保9年諸国巡礼の途中に、この付近で難破が多いことを知り、浜に居座り続けて死ぬまでの13年間、火焚場の火を焚き続けたと言われています。
キレイに整備されてあり、僧清虚の偉業も書かれてあって勉強になりました。
往来している船を見ながら、静かに海を見たくなる雰囲気。
2021年の1月に行きました。灯台とセットでどうぞ♪
灯台の下にありました。
かつて僧が火を焚き続けた跡地。一見すると堅苦しそうな名前が付けられた跡地となっていますがそれほど難しい話があるわけではありません。部埼という名前が定着する以前、この地は狐埼や念仏埼と呼ばれる暗礁の多い航海の難所ポイントであったそうで、1836年(天保7年)大分県国見町出身の僧清虚が国見町竹田津港から下関経由で高野山へ修行に向かっていた際にこの地が難所であると気づき、下船したのち海難防止のためにこの山上で火を焚き始めた。清虚は74歳で亡くなるまでの13年間人々のために節制した生活を送り、時には風雨に曝されながらも読経と共に火を焚き続け、この地の海難事故防止に大きく貢献した。また、清虚の没後も明治5年に部埼燈台ができるまで村人によって火が焚き続けられた。現在では部埼燈台が完成したことにより航海の安全が確保されたが、状況にいち早く目を付け、初期の灯台の役割を担い生涯を捧げて人々のために尽力した偉業は素晴らしいものである。ちなみに、ここからさらに下った道路沿いには海に向かって僧清虚像が建てられています。部埼燈台から少し下った位置に復元された火焚場は灯台に比べあまり注目されませんが、灯台付近へ訪れた際にはぜひ足を運んでほしい場所です。
非常に景色の良い場所です、関門海峡の出入り口に相当する場所でもあり、船が好きな人には良い場所ですよ。以外と人も少なく、時々トラックやダンプが通ることがなんてんですが。海面には運が良いとスナメリが泳ぐ姿や鰡が跳ねる光景も見られます。
僧清虚が、海の難所だった部崎において海難事故を防ぐために毎夜薪を焚いたという。
名前 |
僧清虚 火焚場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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実際の場所とは違うとの事だが、それでも当時を偲ばせる想いに没入できます。