歴史を感じる中ノ浜遺跡へ。
山口県指定史跡 中ノ浜遺跡の特徴
駅から近く、アクセスも便利な中ノ浜遺跡です。
歴史を感じる貴重な遺跡が整備されています。
下関市内の著名な弥生時代の遺跡の一つです。
中ノ浜遺跡は、山口県下関市豊浦町大字川棚地内の川棚川河口付近に形成された砂堆地の西端部に立地する。調査区南側に位置する?地区では、中世期に該当する小児骨が出土した土坑墓や柱穴群が検出された。一方、北側に位置する?地区では、遺構はまったく確認されなかった。遺物については、主に?地区の各遺構や厚く堆積した黒色有機質砂層から、土師器や瓦質土器、陶磁器など中世後半代を中心とする遺物が多く出土した。SK7、SP61の上面からは、炭化米が盛られた土師器杯が出土している。このほか弥生時代の遺物として、土器片や磨製石剣片、?地区からは縄文土器片や中世土器片が少量出土した。また、輸入銭や中世期の土錘も出土している。さらに、県内では、出土例が少ない15〜16世紀の李朝の雑釉陶器が多く出土していることが特筆される。今回の調査では、弥生時代の埋葬施設は確認できなかったため、墓域の周辺部であったと推察されるが、中世期後半には、本遺跡は近隣集落の縁辺部であり、響灘に面する小規模な漁村として機能していたこと、さらに、15世紀から16世紀にかけては、大内氏の庇護のもと、貿易港としての側面をもっていたであろうことが、出土遺物から推察できる。
駅から近いし綺麗でした。
少し分かりにくいです。看板をたどって行くと現在の墓地があり、その奥に弥生人の墓地「中ノ浜遺跡」が現れます。
中ノ浜遺跡。響灘に面した下関市豊浦町の海岸砂丘にある、弥生時代の前期から中期初頭にかけて、築かれた埋葬遺跡。中ノ浜遺跡からは、土井ヶ浜遺跡跡式の土器も出てきたことから、2つの遺跡は、何らかの関係があったと思われます。北の土井ヶ浜遺跡(300体)、綾羅木郷遺跡(弥生時代の集落と古墳時代の埋葬跡)と比べると小さいと思う方いると思いますが、昭和35年以来に9次のにわたる調査が行われ、100基余りの墓と104体の弥生人骨が発見されてます。
歴史を感じる場所でした。
下関市内には弥生時代の遺跡がありますが、有名なものを3つ挙げるならば豊北町の土井ヶ浜遺跡、綾羅木の梶栗遺跡、そして豊浦町の中の浜遺跡となります。当遺跡は川棚川の河口付近の砂地に現在の墓地に隣接する約2千年前の墓地で、狭い範囲に土壙墓、配石墓、箱型石棺墓、土器棺墓などが密集して見つかっています。土井ヶ浜遺跡と比べると埋積土がカルシウムに乏しい川砂であるためやや保存状態に劣るようです。
ちゃんと整備してあった。
| 名前 |
山口県指定史跡 中ノ浜遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=10044&pid=gs_ch |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
〒759-6301 山口県下関市豊浦町大字川棚字中ノ浜2393−1 |
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少し分かり難い場所です。中ノ浜遺跡という立て看板(写真1枚目)付近の墓地に向かって伸びる道を直進し、墓地を超えた所にあります。