300年前の歴史を感じる鴻沼。
鴻沼事業記念碑の特徴
約300年前に開発された鴻沼用水路の歴史的な重要性があります。
徳川吉宗による享保の改革と深く結びついています。
碑文には判読が難しい部分があり、興味を引きます。
現在なら約300年前、徳川吉宗の行なった享保の改革の時代に見沼から新田開発のために鴻沼用水路が作られたようです。この辺りはその為に新開と言う地名です。
若干,文字が読みにくい。
| 名前 |
鴻沼事業記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒338-0837 埼玉県さいたま市桜区田島9丁目13−10 |
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碑文(判読が難しい部分あり)鴻沼は、今を去る300年前、享保14年に、見沼代用水から水をひき入れ、沼沃地を開拓し排水路と共に用水路をつくった。上流の大宮地区は、天水を利用し巽通りにて東縁用水と西縁用水に分流し、中間の低地に排水路が設けられ下落合、大戸、鈴谷、西堀、鹿手袋、関、新開、田島などにかんがい、排水をしてきた。この水路はわずかな雨でも溢水し農家の収穫「田島、西堀泣き節句」などと伝えられていた。加えて地区の住民も洪水の被害をうけてきた。昭和28年鴻沼用水路 備会を設置した。昭和31年5月25日高沼、油面土地改良区による「鴻沼用排水路関係二ケ土地改良区連合」が認可された。以後、急激な都市化が進み、洪水、溢水の被害が激増した。そのため水路の拡幅、水門の改修、護岸工事、河底下げ、排水機場の充実、複水路などにより排水の効果をあげると共に円滑な用水供給、水質保全、植樹などの事業を推進してきた。ここに、國、県、市等関係機関及び地元の人々の御協力に感謝の意を表し、排水施設の完成と鴻沼事業35年の足跡を偲び記念碑をたてる。なおこの地を「田島」といい、幅3.6Ⅿの「新開堰」があった。昭和63年11月29日。