源頼朝が涙した与一塚。
与一塚の特徴
佐奈田与一義忠を祀った塚は歴史的な価値があります。
源頼朝が涙を流したと言い伝えられる場所です。
九州の文三堂と関連する重要な史跡です。
文三堂と同じく、戦死した佐奈田与一義忠と文三家康を祀ったもののようです。名称からすると文三堂は文三家康を、与一塚は佐奈田与一義忠と思いますが、詳細はわかりません。
源頼朝が、挙兵直後に石橋山において平家軍と戦い大敗を喫した石橋山の合戦において、先陣を切った佐奈田与一義忠が葬られた塚です。石橋山の合戦で、佐奈田与一は大庭景親の弟・俣野五郎景久を組み伏せ刀を抜こうとしたがなかなか抜けず、手間取っているうち敵の応援によって討ち取られたという逸話が残っており、非業の死を遂げた与一を葬った与一塚の傍らには与一を祀る佐奈田霊社が建てられています。また、頼朝は伊豆山参詣の帰りに、この与一塚と与一の郎党・傅役の文三の墓に立ち寄り、涙を流したという逸話もあります。石橋山の合戦は10倍の敵にしかも正面・背後に平氏方の兵に挟まれた戦いで、佐奈田与一も討ち死に覚悟で臨んだと言われています。そういった逸話を感がると、本邦初の武家政権の棟梁となった頼朝がわざわざ負け戦のこの地を訪れたという逸話も素直に信じてしまいます。
源頼朝が伊豆山権現(伊豆山神社)参詣の帰りに与一塚に立ち寄り涙を流したとの言い伝えがある時は1190年。
| 名前 |
与一塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0465-33-1521 |
| HP |
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/historic_battlefield/p10044.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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首塚的なものでしょうか。大僧正の文字とのこと。古くから大事に祀られてるんですね。